このシリーズを連載していたことを、先ほど思い出しました^^;


①、②で飛鳥時代までのお話、そして飛鳥時代から考古学上の成果が日本書紀の記述が一致してくるというお話をしました。


では、本題の飛鳥時代のお話をしましょう。


飛鳥時代は、592年(推古天皇即位)から710年(平城遷都)までの期間と位置づけられるのですが


これを3つにズバッと分けると、整理しやすくなります。


第一期飛鳥時代 592年~645年

すなわち「蘇我氏の時代」

です。


推古天皇の即位とともに、歴史の表舞台に登場してくる人が聖徳太子です。

しかしこの2人…ハッキリ言って蘇我氏一派です。


実質の権力者は蘇我馬子でした。

そして聖徳太子の死後は馬子の直系の蘇我蝦夷、蘇我入鹿と権力者の座は受け継がれていきます。


その権力の座を奪ったのが、中大兄皇子。


昔、645年は大化の改新って習いましたよね?

今は645年は乙巳の変と教科書に書いてあるんですよ(^^)/


ここからが

第二期飛鳥時代 645年~672年。

ズバリ、中大兄皇子の時代です。

とうとう蘇我氏から権力者の座が移ったのです。


しかし乙巳の変の後、実は都は飛鳥ではなくなりました。難波宮、すなわち大阪へ遷都されているんですね。


しかしその後、諸事情で(雑な説明でサーセン)飛鳥に戻ります。

斉明天皇、という女性天皇が飛鳥の地で様々なものを作りました。

しかし、白村江の戦いという対外戦争で敗れたこともあり、斉明天皇の後に天皇になった中大兄皇子、改め天智天皇が都をまたまた飛鳥から遷すんです。


その行先は…近江です。


なので、中大兄皇子は二度も飛鳥を離れているんですよね。


そしてその天智天皇(中大兄皇子)が病没して、後継者争いが起こります。
672年、壬申の乱です。


天智天皇の息子と弟の争いとなり、勝ったのは弟。


ここでまた権力の座が移り

第三期飛鳥時代 672年~710年

の始まりです。


勝った弟、即位して天武天皇となりました。

そして近江から飛鳥へと都を戻したのです。



こちらの天皇が凄まじい猛者だったようで、すごいパワーで日本という国家を作り上げていくのです。


しかし天武天皇も病没。


本来、後継となる息子も相次いでなくなったため、後を継いだのは持統天皇、すなわち天武天皇の妻です。ここでまた女性天皇が誕生することになります。


持統天皇は天武天皇の意志を継ぐ形で藤原京へと遷都します。

藤原京というのは飛鳥とは目と鼻の先。

ですので、この時代も飛鳥時代とひっくるめて考えています。

持統天皇の次は、その孫(すなわち先になくなった息子の息子)で文武天皇となります。



ですので権力構造的には継続しているので、天武ー持統―文武の時代を第三期飛鳥時代と位置付けることができます。



そしてその後に平城京遷都、となり、飛鳥時代はここまでとなります。



まずは、こんな風に飛鳥時代は3つに大きく分けて理解していきましょう。