ガーデンショップ社長の東奔西走日記

ガーデンショップ社長の東奔西走日記
さて、いよいよ阪神の優勝が目前となってきています。

勝ちすぎて面白くないやろ、とか時々言われますが全くそんなことはありません。
毎日が楽しいです。

確かに独走状態ではありますが、一試合一試合は接戦続きで紙一重の勝利を重ねているところです。



そして特に見ていて面白いというか、興味深いのが投手陣の運用です。

今年の阪神は一、二軍の入れ替えが超絶激しいのですが、特に頻繁に登録と抹消を繰り返しているのが投手陣です。


例として先週末から今週にかけての動きを紹介しましょう。


先週末の24日の日曜日、ビジターの神宮球場にいるにも拘わらず二軍から二人の投手を呼び寄せました。島本、冨田の左腕二人です。
その際に抹消したのは前川、井坪といった若手野手でした。


この背景には、その前の二戦で中継ぎ陣を多く使った事が挙げられます。

特に岩崎、及川、桐敷の3人が連投となっていました。それ以外にも前日は延長12回まで戦っていたため他の投手も含めて中継ぎ陣の登板が増えていたのです。


このところの野球界は三連投を避けるのが普通になっています。
そうなると前述の左腕3人を登板を避けたいところとなり、たちまちブルペン陣が手薄になってしまいます。


なので日曜日に先発する才木には長いイニングを投げてもらいたい…と誰しも考えるのです。そこで考えが留まっていたのがこれまでの首脳陣です。


が、今の阪神首脳陣はここでしっかりと手を打ったわけです。

そうは言っても才木が早い回で降板する可能性だってある。延長戦になる可能性だった考えておかないといけない。

そこで二軍から日曜日に登板できそうな左腕投手を二人(島本、冨田)緊急で呼び寄せたんですね。


翌月曜日は試合がないので、ここで岩崎たちはいったん登板間隔を空けることができます。なので、あくまで日曜日限定で二投手を呼び寄せたのですね。



結果、24日の才木は先発としてイニング消化を果たし、終盤に点差もついて登板したのは島本とハートウィグの二人で済みました。


他のブルペン陣は無事に休養することができ、そして島本のテスト的に起用する形となりました。


そして翌日、冨田が抹消。
ある意味予定通りだったでしょう。

このリスクマネジメントを効かせた投手運用を理解できていないファンは「何のために富田を一軍に上げたんや」と感じたことでしょう。


そしてさらに続きがあります。

27日の水曜日、育成ドラフト出身の早川が先発でした。

結果、プロ初勝利という最高の結果で終わったのですが、この日のリリーフ運用にもなかなかの深い考えがあったと推測しています。


一軍初先発の新人投手が投げるだけに、早い回での降板は絶対に備える必要がありました。また早川は二軍戦から確か中5日だったはずなので球数的にも多くは投げさせられないはずでした。

すなわちここはリリーフ投手を厚く用意しておかないといけない。
特にイニング跨ぎとなることも想定しないといけなかったのです。


そして早川を一軍登録するために誰かを抹消しないといけなかったのですが、さて誰を抹消するかという予想もマニアックなファンの中ではなされていました。

入れ替えで抹消されるのは登板機会の少ない岡留ではないか、という予想もありましたが私は消耗の少ない岡留をロングリリーフ候補で残しておいた方がいいのではとも思っていました。しかし岡留を残して誰を落とすか、というと難しいところだったのです。


そこで首脳陣が下した判断は桐敷の抹消でした。桐敷は前年の勤続疲労なのか、前年ほど圧倒する投球が今季はできていませんでした。ましてイニング跨ぎとなると躊躇せざるを得ないところだったでしょう。


果たして岡留は一軍に残り、早川降板後の6回に登板しました。
この場面は2-0でリードしていたので通常であれば岡留という選択肢はない場面です。

しかし敢えて岡留を登板させたのが、早川降板に備えて早い段階から岡留投入というゲームプランがあったからと考えられます。


幸いイニング跨ぎになる事はなく岡留は1イニングを投げ、筒香にホームランを打たれてしまいましたが何とかリードは保ちました。


そしてその翌日、岡留抹消。代わって湯浅が登録されました。
おそらくは湯浅の登録も予定通りであったと思われます。と、いうことは岡留は翌日抹消する前提で27日は抹消せずに登板したということになります。


いや、なんとも緻密な投手運用になっているんですよね…。


そしてバックアップするフロントの動きも素晴らしかった。


7月にハートウィグとドリスを獲得しました。
いずれも右の中継ぎ投手です。


とある解説者は「どこで使うの。保険なんていらないでしょ。」という発言をYouTubeでしていたようですが、これほど考えの浅い発言はないと思いますね。


ゲラが誤算で全く使えず、ネルソンもイマイチ。
他の投手も含めて一軍の右の中継ぎ投手は石井以外手薄であったのは明らかでした。



その現場の状況、そしえ要望に応えての右投手獲得はフロントのファインプレー、タイムリーな補強となりました。


8月は消耗していないハートウィグとドリスを加えて中継ぎ陣の負担を軽減することに成功したのです。



先発ローテも先ほどの早川起用にも見えるように、消耗を避けた柔軟な起用がなされ先発投手も「投げ抹消」のパターンも多くなってきました。

本日は高橋遥人が抹消され、畠が初めて一軍登録されました。
「えっ、もう畠を登録するの?」という感じでして、これまたファンとしてはちょっとサプライズな運用です。


もちろん、これだけ独走している余裕の表れとも言えるのですが

シーズン通して投手陣の運用は深く、深く考えられているなと感じます。



これは藤川監督のみならず、金村コーチの存在も大きいと思われます。



優勝目前となり、もちろんそれが一番楽しみなのですが


私としては、こんなマニアックなところも楽しんでおるところです。














































盆明け、この季節に当社では「グループ総会」を行っています。


グループ、ってなんやねんという話ですが

実は昔、3つの会社が存在したことによる名残ですね…。


今は「株式会社リーフユニティ」と「植田造園土木株式会社」の2社なんですが

一心同体、社長は一人、組織も一つになってございますので

グループも何もないわけですが^^;



まあ、昔の名残で名称だけ残っています。



この会には、当社のスタッフ、社員職人に加えて

各方面の協力業者さんにお集まりいただいております。



そういった場で経営方針を共有したり、現場での注意事項などをお伝えしたりしています。


よく金融機関さんなども招待して「経営方針発表会」をしましょう、というような風潮もあるわけですが、これまでそういう会を催したことはありません。


それよりも、社内、そして現場を作ってくださる皆さん向けの場と位置付けています。


今年の総会では前半60分が経営方針について私がお話し

後半60分はテーマを決めた勉強会、という内容にいたしました。



私たちの仕事は幅広い知識が求められるものですが、浅く広くではプロとは言えません。

「ちょっと深く」、広く、であるべきだと思うんですよね。



今回は、分かっているようで分かっていない(人もいる)三平方の定理と安息角、というテーマで私が先生となって「数学の授業」をしました(^^)/

これ、私たちの業務で必要な場面があるんですよ。
ただ、理解があいまいで丸覚えでしかない人も多いんですね。


これはガッツリ「授業」をしないと理解できないかな、と。


ご存じの方もいらっしゃいますが、私は元・塾の先生です。

60分の授業など、手慣れたもんです。


ちなみに英語担当でしたが、数学でも何でもオッケー。



そういうわけで、久しぶりに渾身の授業をおこなって参りました(笑)。


いやあ、血がたぎるっていうか


楽しいですね(^^♪



とまあ、私の楽しみはともかくとして


勉強会とか研修とかって、中途半端ではいけないと思うんです。

やるからには本気のものでないと、記憶にも印象にも残りませんし何の役にもたちません。


仕事というものは自分で経験して覚えていくのが一番なんですけど、それでは各個人の能力頼みになって時間もかかるし、同じ会社内で担当者の差が大きくなってしまいます。

また、同じ失敗が社内で繰り返されることもあります。


これを少しでも組織と仕組の力で底上げしていかないといけない。


そういった想いで、今回のグループ総会でお話しました。


ちょうど高校野球も終わるタイミングで、夏の終わりを感じるグループ総会…のはずなんですが


いや、これ暑すぎでしょ…(~_~;)





















































過去にブログにも書いた私の朝のルーティーンは、今もしっかりと定着しているところです(^^)v


起床は4時台です。

4時10分のときもあれば4時50分のときもありますが、目覚ましなしで起きられるので4時台に目覚めたら二度寝(というか実際は三度寝、四度寝)せずに起きてしまいます。

朝起きたら自宅にて

読書(1~2分程度)

ジャーナリング(日誌を書く) 読書から得たことを書き留めるところから

その後風呂に入り、湯船で深呼吸10回


出勤後に

ゴミを何か一つ捨てる

ハガキ一枚、メール一通

その後、腕立て伏せとスクワット

後の時間で経営について考える



その後、土場に移動して朝礼は7時30分からスタート。


日々これらを当たり前にこなしているので、もはや自動的にやっている感じです。




そして、その中でも3年くらい続いている腕立て伏せなのですが


さすがに筋肉が付いてきていることを実感しています。

いやま、本格的な筋トレしている人からすれば全然大したことないんでしょうけど^^;


でもね…

実は私、人生において筋トレとかしたことなかったんですよ。


筋トレに限らず、スポーツとは全く無縁の文科系人間でした^^;

なので、どうも慣れない筋肉っていうやつに違和感も感じつつも、やはりちょっと嬉しいものです(^^)/


腕立て伏せなんで、ほぼ腕だけなんですけどね^^;

スクワットによる足の筋肉は未だ体感に至っておりません…。




ともあれルーティーンというヤツは重要だと感じます。


そして、やはりルーティーンは朝が大事です。

最初はスクワットを夜にやろうとしたんですが、様々な理由でできない日ができてしまうんですね。その点、朝は何にも邪魔されないので間違いなくこなせていけるんです。



継続は力なり、とよく言われますが


継続、すなわちルーティーンです。

習慣、という言葉にもなりますが日本語の習慣と書くとちょっとフワッとした印象になります。



そういうわけで


また新たなルーティーンを作れないかな…と考える毎日です。








毎年、6~7月には多くの住宅会社、建設会社等で安全大会なるものが開催されます。


と、言うのも

7月1日~7日に、「全国安全週間」という厚生労働省主催のキャンペーン(!?)が行われるためです。


そして6月はその「準備月間」と位置付けられています。


それを受けて、私たちの業界では安全大会なるものを行う慣習がございます。


6月中旬くらいから安全大会が各所で開催されるシーズンがスタートします。

(一部、季節外れ(?)の秋冬に開催される会社さんもあります。)




弊社は各方面の住宅会社さんにお世話になっております。
ハウスメーカーさん、工務店さん、リフォーム会社さん等々…です。


特に大きな会社さんほど安全大会を開催されます。

また、コロナでオンラインが広まったため、今なおオンライン開催をされてる会社さんもあります(かなりリアルに戻りましたが)。


これらの安全大会には、できるだけ私が参加するようにしています。


安全大会の内容は各社さん、マチマチです。


一般的には



社長もしくは支店長等のご挨拶

工事担当者さんによる安全に関する講話

ゲスト講師による講話

安全宣言



といったところですね。


社長もしくは支店長等のご挨拶は営業の状況や営業方針の話などもあって、色々と参考になったり大事な情報があったりします。

ある意味、ここが私にとって参加する一番のポイントです。



安全の話はどうしても形式的なものが多くなりがちです。

ここを如何に参加者に響くように訴えるか、話者の腕が問われるところです。



ゲスト講師のお話は、安全や工事におけるマナー等の話もありますし

全く無関係な話もあります。


先日参加した、ある会社さんの安全大会での講話はAIについてのお話でした。


他に、協力業者に色んな表彰をいただく会社さんがあったり

営業担当者からお客様の紹介依頼などの話があったり

事務方の方からの庶務連絡があったり


ここら辺も色々ですね。

最後に主に業者からの代表による安全宣言、で締められます。



そして、全ての安全大会ではないのですが


安全大会終了後、懇親会がセットされている場合もあります。



立食パーティー形式が一番多いのですが、着席ビュッフェや着席でコース料理という場合もあります。


この懇親会の場が、結構大事なところでして

お得意先様の皆様とのコミュニケーションを図る重要な「営業の場」と化すんですね。

なので名刺交換などもあちこちで行われます。


また、協力業者同士の横の繋がりなども重要です。

他業種の皆さんとも繋がっていくと仕事に繋がる場合も多々ありますし。情報交換としても有益な場となり得ます。


そういう訳で、できるだけ頑張ってコミュニケーションを取っています。

と、言いながらもビールはしっかりといただきますが(笑)




夏は安全大会。


この季節、汗をかきかき各方面で参加しています。


































飛鳥時代は概ね600年代、7世紀ごろと前回書きました。

その飛鳥の時代の前は、日本書紀では磐余(いわれ)と呼ばれるエリアを転々としていたと記されているわけですが、決して磐余時代とは呼ばれていません。

磐余に考古学的な物証が殆どないため、です。


では何時代、と呼ばれているかと言いますと

「古墳時代」

ですね。


しかし…ですね。


私が小学生の頃は「古墳時代」という時代区分は余り使われていなかったと思うのです。

「大和時代」という時代区分の方がメジャーだった記憶があるのです。

逆に「飛鳥時代」というのは正式な時代区分ではない、と私は理解していたように思います。


それが実際のところどうだったかはともかく


いつしか「大和時代」を「古墳時代」と「飛鳥時代」に分けるように変わっていったんですね。


考古学的な発見と歴史学の研究が進み、そのように変わっていったのでしょう。

特に飛鳥に関しては、現在進行形で様々な発掘調査の成果が上がっているところです。
それも日本書紀の記述との一致が見られているのです。


逆に言うと


考古学的な物証のある飛鳥時代は日本書紀の記述を明確に歴史と認めることができるが


それ以前の日本書紀の記述については明確な歴史として認めていない、という事にもなっています。

もちろん神話の時代から始まる日本書紀の記述の前半は殆どが創作でしょう。

しかし飛鳥の時代は史実。

それならば飛鳥の直前の磐余の時代もそれなりに史実を反映しているのだろう、と考えることもできます。



しかし学校の歴史、という分野においては飛鳥時代の前の時代については


明らかに考古学的にも残されている古墳、というものを根拠としたものでしかありません。

前方後円墳が全国的に分布し、特に大型のものが奈良や大阪に集中している。
と、いう事は奈良や大阪を基盤とした全国的な王権が存在した事を示している。

しかし古墳を発掘しても、殆ど文字というものがありません。
出てくるのは埴輪や各種の道具ばかり。


そして一部の中国の歴史書に、僅かに当時の日本の記録がある。


それらの情報を学校の教科書の歴史として認定しているに過ぎない時代なんですね。


なので都がどこにあったとか

日本書紀には登場する天皇等についても教科書には殆ど書かれていないわけです。



あくまで全国的に古墳が作られた時代、というレベルに留めて「古墳時代」と区分しているんですね。


一方で何度も書いていますが、飛鳥の時代については明確な、そして多岐に渡る発掘調査の成果が出ているんです。


もう一つ言うと有名な聖徳太子が送った遣隋使。


日本書紀に記述があるとともに、隋という中国の国の歴史書にも記述がある。

これはもう、史実でしょうという事になるわけです。



よって「飛鳥時代」から、教科書にも固有名詞がバンバン登場すて歴史が動いていくのです。











6月27日

「梅雨明けしたとみられる」

って


はやっ!


昨年は9月中旬まで猛暑でしたからねえ…


このまま7、8,9月の3か月もこの猛暑となると


色々と問題が多いですね…(~_~;)



私たちはなんと言っても建設業ですから


熱中症問題


いや、これもう本当に大変です。


職人さんたちを守るためにも、あの手この手が必要ですね…。



ここからの季節、身体を冷やすためのものを様々配っていきたいと思います。

冷却スプレー、冷却タオル、熱さまシート…過去にも色々配ってきました。


他にもあの手この手で


シンプルに氷を配るとかできないかな、とか


現場にタープテント置けないかな、とか


少しでも考え得ることをやっていこうと思います。




ひと昔前


「休憩時間、車内で休む場合はエンジンを切る事」などというお達しが元請けさんから聞いたことがあります。


今、そんな事していたら死人が出ますよ…。

もはや、そんなルールはあり得ない時代ですね。



休憩時は車のエアコンでしっかりと身体を冷やしてください、と私はいつも言ってます。




いよいよ夏本番。


暑い夏を何とか乗り切っていきましょう!


先日、とあるご縁で

熊本からお越しの皆様を飛鳥エリアのご案内をいたしました(^^)/


私、飛鳥の歴史のちょっと凝っておりまして

自社の店内に石舞台まで作ってしまったくらいです(笑)






IMG_3794

(当社展示場内の石舞台みたいなもの)
まずは、飛鳥時代についてレクチャーしました。

西暦で言うと7世紀、600年代を中心とした時代です。
推古天皇即位の592年から平城京遷都の710年まで、と考えることが一般的です。


飛鳥地方に都があったので、「飛鳥時代」と呼ばれるわけですが

では、その前はどこに都があったのでしょうか…??




日本書紀には飛鳥時代以前についても詳しく書かれています。


それによると現在の桜井市、磐余(いわれ)というエリアや磯城というエリアを天皇ごとに都というより「宮」が転々と移されていたことになっています。都というほど大掛かりなものはなかったようです。


しかし、です。



この飛鳥時代の前の時代の「宮」というものについては明確な考古学上の発見が極めて乏しいんですね。

私は桜井市民なので、所々に「〇〇宮伝承地」という石碑を見た事もありますが、これらは実際に発掘調査の成果を伴うものではありません。日本書紀の記述を元に、「まあ、ここらへんかな」というカンジで、言わばまあ、言ったもん勝ちみたいなところでしょうね。


それが、飛鳥時代となると大掛かりな発掘調査の成果がザクザクと出て来ている訳です。


それだけ飛鳥時代に国家体制が整ってきた、という事も考古学上から読み取れるのと

飛鳥エリアは田畑として残った部分が多かったため発掘できた、という側面もあるでしょう。逆に桜井エリアは発掘したくても市街地になっていて発掘できないところも多々あるのです。


ちと長くなってきました。

これ、ちょっとシリーズ化しましょうかね…(^^)


次回に続きます(笑)








先日、岐阜で行われている緑化フェアに行ってきました。


緑化フェアで私が一番に見たいものは、企業出展の庭です。

昨年、川崎のフェアにも行きましたが、川崎より岐阜はレベルが高かったように感じました。



中でも一番印象に残ったのが


IMG_4443
この作品です。


この作品に限りませんが、良いな…と感じた作品には共通点があります。

それは

石をしっかり使っていること、まずはこれが一番。

そして、この作品に関して言えば、この石の色なんだと思います。
こういう石の色は植栽の緑との相性が特にいいんだな、と改めて感じました。


そして重要なのが

植栽の細部の作りこみ、です。

石の間とか
庭の端っことか

良い作品はあらゆるところに気持ちが入っているかのように感じました。


あと、高いところにフォーカルポイントを持っていくことも重要なんですね。
この作品でいうと、高いところに四阿(あずまや)があります。

これによってグッと立体的な庭になっています。


あと、水の流れと音というのも定番と良い程あちこちで使われていましたね。


そんな様々な学びも深かった緑化フェアですが



実はそれ以上に今回、度肝を抜かれたと言っていいほど衝撃的なものを見る事ができました。


それは


バラ園、です。

この会場は「ぎふワールドローズガーデン」というところです。

名前の通り、バラがメインの公園となっています。
緑化フェア関係なしに、このバラ園の見事さは言葉でも、また写真でも伝わらないでしょう。



あまりバラには興味がなかった私も、グッとバラの魅力に引き込まれてしまいました。


バラの季節は間もなく終わりますが

来年以降も含め、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。



緑化フェア関係なく


本当におススメです!







































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