思い出
何か連絡するたびに奥様が「ご連絡ありがとうございます」と丁寧に仰られていました。
今日は朝から寒い上に雨も降りました。
風も強いです。
外の作業としては、かなり辛い日です。
こんな日にも作業いただいている職人さんたちには本当に感謝です。
私も若かりし(?)日には
こんな日にもバイクに乗って外回りをしていた時代がありました。
外回りは正式には「渉外担当」と称しているのですが、会社内では俗に「外交」と呼ばれます。
バイクの外交は雨が降ろうと、カッパ着用で走ります。
台風が来た時に、いつも通り出て行ってトンデモナイ目に遭ったこともありましたが…。
ともあれ
今日のような、こんな寒い雨の日が一番辛かった記憶がありますね。
しかしそれ以上に
寒いとか暑いとか言ってる場合じゃなく
一杯一杯になりながら駆けずりまわっていたイメージが強烈に残っています。
まさに若かりし頃…多少の勢いはあったものの
まだまだ青かったよな~と思いだされます。
今も営業トークは全開で仕事をしてますし
経営の事も語れるだけに
今、外交をやれば
全然違ったレベルの仕事ができるんだろうなあ、なんて思ってみたり。
ただ、後日談ではあるのですが
他部署に転勤になってから、私の外交の担当先を引き継いだ方に会った際に
「お客さんみんな、植田君良かったって言ってはるで。」と仰っていただいた事が嬉しかったです。
もちろん社交辞令含みもあったでしょうが
青いなりの頑張りがお客様に届いていたのかと思うと、今思い出しても良い経験でした。
当時のお客様と、今の仕事で関わったことはありません。
しかし世の中は狭い、と思う事も多々。
地元奈良のことですし、いつかそんな機会があればいいな、と思っています。
「あの時、バイクで来させてもらっていた植田です!」
なんて言って、昔話ができれば最高に嬉しいです。
皆様、その際はお付き合いくださいませね…。
日曜日。
打合せ・外回りは午前中に終えまして
午後からデスクワークに集中できるという、久しぶりに貴重な1日になっております。
私の経歴の中で
猛烈な量のデスクワークをこなしていた時期があります。
マーケット部門の事務方をしていたときなんですけど
多くの業務量をさばくため、全身全霊の知恵と工夫を投入しました。
端末機の同時稼働による効率化、パソコン機能活用、しまいには1歩歩くのも惜しむ作業レイアウト…
そして
結果として「整理整頓」ができていました。
未処理のものは引出を決めて保管するなどしていたので、机の上には余り書類がない状態にしていました。
私は元来片付けが苦手で、プライベートでは散らかり放題の人間なのですが
当時、隣に座っていた女の子に
「植田さんの机って、いつもキレイですよね~」
と言われたくらいです。
私にとってはキャラ違いの奇跡的な言葉でした(笑)。
実は最近
その人から仕事の依頼をいただき
ご縁に感謝するとともに
ちょっと当時を思いおこして
デスクワークも頑張ります!
魂を込め続けてきたホームページをご覧ください。
↓
昨日家内からメールが来たので、何事かと思いきや
「『ゲンジ』が窓にとまっていたので採れました。エサは一体何を…?」
とのことでした(笑)。
さて、ブログ読者の皆様で
「ゲンジって何?」と感じられた方って、どれ位いらしゃるんでしょう?
(って、読者様が少ないだけに不毛な問いですが(笑))
私たちにとっては当たり前なのですが
ゲンジ=クワガタムシ という
この慣れ親しんだ言葉が
既に娘の世代に通用しなかったりするんですね…。
生まれ育った同じ地域なのに。
さらに
オオクワガタを「ホンチ」(と言っても子供の頃ほとんど見る事がなかった)
ノコギリクワガタを「テンチ」(コイツが多かった。また強そうだった。)
ミヤマクワガタを「マクラ」(甲が枕みたいに膨らんでいる)
ヒラタクワガタを「タイキ」(小さい奴だった)
メスは全て「ブタ」(文字にすると大変失礼な話のようですが…ゲンジの話です)
と呼んでいました。
さあ
「そうそう!」
と激しく同意下さる方は画面右の「拍手」欄にクリックをお願いします。
これって
同じ奈良県内でも呼び方が全然違うようなんですね…!?
「いや、俺たちはこう呼んでいた!」というご意見はコメントの方にお寄せください。
昔、探偵ナイトスクープで「アホバカ分布図」みたいな事やってましたけど
「ゲンジ文化圏」も一度調べてもらえませんかね(笑)。
魂を込め続けてきたホームページをご覧ください。
↓
先日のフェアで、私の塾講師時代の教え子とそのお母様が訪ねてきてくれました。
駐車スペースのご相談、ということで早速打合せもさせていただいた訳ですが
昔話も少しあったりして、とても懐かしい気分になりました。
懐かしくて、当時教え子たちからもらったメッセージを引っ張り出して読み返しました。
教え子一人ひとりの顔が記憶にバッチリと甦ってきました…。
やっぱり、忘れられない思い出なんですね。
大学生の、いわゆるアルバイトですが
私にとっては、今の私の原点だったと思います。
「子供」であることを卒業したばかりで、社会人としては今となっては恥ずかしい事も未熟な事も多くあったのですが
今なお、「熱い」思い出となっています。
その後色んな経験や出会いを経て、少しばかり成長した今の私ですが
「熱さ」だけは当時に負けそうになるくらいです。
当時の自分がある意味ライバルですね…。
戦力外通告が近い?
↓
ますます絶好調、自慢のホームページです!
↓
オリンピックたけなわですが
実は私にとってバンクーバーという街は小学生の頃の思い出の街です。
こう書くと、行ったことがあるような誤解を与えそうですが
もちろん行ったことはありません(笑)。
私の海外渡航歴は新婚旅行を含めオーストラリアに2度行ったことがあるだけです。
何の話かと言うと
「釣りキチ三平」
です。
漫画の話かよ、と突っ込まれそうですが(笑)
この漫画は色んな意味で結構タメになる漫画だったようにも思う訳でして
私にとって想い出深い作品です(ちなみに現在釣りの趣味はありませんが)。
さて、その三平君が釣りを通じて知り合った外国人から誘われて、カナダで行われる「サーモンダービー」という大会に出場します。
要は大会期間中に釣った「キングサーモン」の重量を競う、という大会です。
その際に訪れたのが
バンクーバー。
細かいところはさすがに忘れましたが
私の子供心にはカナダのバンクーバーという地名が、ある意味憧れの地としてインプットされたのです。
嗚呼、バンクーバー。
オリンピックが話題に出ると思いだします…。
このページを一部書き直しました。
↓
更に下位に沈んだ私を笑っていただける人はコチラ
↓
園芸店「花木らんど」とカフェ「ぽたりぃ」もあります。
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バレンタインデーについて語るキャラでもなければ縁もない植田ですが
一つだけ言わせてください。
今もなお、国生さゆりなのか(笑)?
テレビでもラジオでも、あの曲が流れているんですね~。
凄いことです。
20年以上前の曲なんですが…
他にないんでしょうか?
あの曲を超えるバレンタインの歌は生まれていないのでしょうか??
いや、私も当時は中学生で言わばおにゃん子クラブの世代でして
確かにインパクトの強い歌でした。
しかし今や、ああいった素人っぽいアイドルはいませんよね。
それでもなお語り伝えられるとは…
まさに、名曲。
こっぱずかしいので、敢えてタイトルは書きませんが(笑)。
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ここに来てアクセス急増中!?
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日航破綻について私的ブログを一つ。
私には実は金融マーケットの血がちょこっとだけ流れております…。
前に勤めていた金融機関で債券ポートフォリオを担当したことがありまして。
100%減資で株式が紙くずに…という話は結構報道されておりますが
社債はどうだったんだろう?
と、ふと思いました。
社債とは、会社にとっての国債のようなもので
もちろん会社にとっては借金です。
信用リスクや流動性リスクが国債に付加されるため、国債の利回りより若干のスプレッドが付きます。
スプレッドというのは
例えば5年国債が0.5%だとしたら、例えば日航の社債なら0.8%になる、という利回りの差幅を言います。
だから投資家が社債について語るときは「スプレッドどれくらい?」という話になります。
さて日航社債については…やはり、ありました。
670億円がデフォルト(つまり借金を返さない)とのこと。
社債のデフォルトって、滅多なことでは無いんですけど…
これを機に社債マーケットが空気が悪くなるのかも知れませんね。
私が担当していたのは金融機関の自社の余資運用だったので
大抵は国債、次いで地方債や政府保証債等の扱いが中心でした。
ですから証券会社さんから「社債、どうですか~?」てな案内をされても
会社的にはなかなか手が出せないことが多かったのですが
そんな中で思い出のワンシーンが一つ。
いつものように証券会社の担当者さんが電話をしてこられました。
当時、キムタク主演の「GOOD LUCK!!」というドラマがヒット中だったか放送直後の頃でした。
(証)「植田さん、植田さんにピッタリの社債ありますよ!」
(植)「なんですか?」
(証)「『GOOD LUCK!!』です!ホラ、植田さんにソックリのキムタクの!」
(植)「さすがトップセールスですね~!上手いこと言うなあ~。」
いくら営業トークでもそれは無いやろ、と思いながらも
言われて悪い気もしないものです(笑)。
(あっ、モノ投げないで下さい!!決してキムタクとは思ってませんから!!)
ま、これは全日空の社債でしたが…。
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コツコツと更新を続けます!!
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「センター」
と言えば
赤星…、後釜はマートンか浅井か、はたまた平野か…
じゃなくて
今日は「試験」ですね。
今日、明日と「大学入試センター試験」なのです。
受験生の皆様、頑張ってください。
実は私、「センター元年」の受験生です。
それ以前は「共通一次」という試験でした。
同じようなマーク試験で、未だに共通一次とどう変わったのか分かりませんが。
受験会場は奈良教育大でした。
会場前で新聞記者のような方が「入試制度が変わって、どうですか?」みたいな質問をされましたが、あまり実感がなかったので「やることは変わらないので…」みたいなことを答えました。
同じ高校のアイウエオ順に番号が並んでいたので、私の前の席は「上田君」でした。高校時代は余り接点がなかったのですが、2年位前に彼が偶然にお客さんとして来て植木を買ってくれました。
休み時間がやたらと長い試験でした。
初日の夜にラジオで解答速報をやっていたので自己採点をしました。
初日は英語と数学と…国語もありましたかね。
多少の取りこぼしはあったものの、まずまずの点が取れたので気をよくして当時土曜日にやっていた「探偵!ナイトスクープ」を見て寝ました。
二日目は理科、社会。
センター対策が遅れていて理社に不安があったのですが、正月に必死のパッチで勉強した甲斐あって会心の自己ベストを取ることができました。
そんな感じの思い出です。
同級生の家内とは、毎年同じような思い出話を繰り返しています(笑)。
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「リーフユニティ・ライフ」を掲げています。
↓
1月4日。
今日から仕事始めの方も多いですよね?
ハイ、私も会社勤めの時は今日でしたからね~。
当社は1月6日から。
業界では5日からのところが多いかな。
で、私は今日から「ひとり仕事始め」。
この「ひとり~」という言葉は
塾講師時代に使った「ひとりミーティング」というヘンな言葉から来ています。
「一人やったらミーティングって言わへんやん!」
というツッコミを受けるのですが
いいんです。
塾講師時代は講師が集まって行われる「ミーティング」で熱い議論が交わされました。今思えば「ブレイン・ストーミング」的な効果もあって、どんどん前向きに意見が集約されていったりすることも多くあったのです。
決して形式的な会議ではなく、本質のみを取り上げてなされる真剣勝負の場。
私、このミーティングが大好きでした。
20歳そこそこのアルバイトの若造が年上のベテラン相手に、もう言いたい放題(笑)。
もちろん一人でいるときに同様にアイデアを練ったり閃いたりすることも多々ありました。
そして、ある時ある者が(後輩なんですけど)言いました。
「昨日、ひとりミーティングして考えたんですけど…」
前述のツッコミが皆からなされ、一同爆笑となったわけなんですが
なかなか深い言葉でした。
あのミーティングという場で流れていた前向きで、そしてホットな空気。
それを自分一人の場でも作りだして考えつくす、ということ。
確かにそういうことは私も以前からやっていたのですが
まさに「ひとりミーティング」という言葉がピタッと当てはまったように思いました。
更に派生して
「ひとりファミレス、行ける?」
とか
「ひとりカラオケは無理やろ~!」
などというバカ話になっていったりもしたのですが…(笑)。
そして経営者となった今
「ひとりミーティング」連続の毎日。
そんな思い出を振り返りつつ
「ひとり仕事始め」です!
ありゃりゃ。
↓
年始は1月6日からやってます。
↓
さて、選挙の投票も済ませてまいりました。
昨日、麻生首相と鳩山代表が池袋の東西で最後の演説をされた、とのこと。
政治ネタはブログでは書きませんが
「池袋」の思い出を一つ。
実は昨年の12月に池袋に行ってまいりました。
完全なプライベートです。
小学生の娘のマーチングバンドが「さいたま・スーパーアリーナ」で行われた全国大会に出場する、というので家族で応援に行ったのです。
その際、宿泊地に選んだのが池袋でした。
池袋 ホテルメトロポリタン
というホテルでしたか、こちらは池袋の西口にありました。
で、夕食等で東口のサンシャインシティという方へ歩いて行ったのですが
田舎者の私の感想としては
なんちゅー人や!
初もうでか!!
とツッコミたくなるような人混み…。
池袋駅前はもう、家族一緒に歩くにも、はぐれないようにするのに必死の状態。
こんなところで
街頭演説…!?
えらいことになってたやろな~!
そんなことを感じた「池袋」の思い出でした。
今日は思い出話でも書いてみますかね。
全然、興味ない方は無視しちゃってください。
中学時代に通っていた塾のこと。
塾長先生が英語の先生であったことからでしょうか、とにかく英語の指導がハイレベルでした。
テキストに採用されていたのが
「プログレス」
という本。
全国の有名私立中学などが教科書として採用していた本です。
イメージとしては普通の中学校の英語の教科書の3倍くらいの内容が盛り込まれている感じのテキストです。
特に2年生用のBook2、そして3年生用のBook3と進むに連れて文章が長く読み応えのあるものになっていきます。
その文章の世界に
私、引き込まれました。
Book2はアメリカ、Book3はイギリスが舞台となっています。
それぞれに歴史的な話や有名な物語、文化的なテーマなどが散りばめられ
独特な香りのする「プログレス・ワールド」が広がる。
英語の文章と言えば
中学生レベルでは日常的なたわいもないお話や
短くまとめすぎて内容がスカスカの文章が多い。
高校生レベルでは小難しいテーマの抽象的な論説文が殆ど。
そんな中、中学時代に塾で読んだプログレスの文章が
今も私の頭に焼きついているんですね。
ホラ、子供のころに覚えた歌を今でも覚えているのってありません?
そんな感覚です。
そして
大学生になった私は
その塾で先生としてプログレスを教えることとなりました。
懐かしくて
嬉しくて
楽しかった
まあ受験生を担当すると、そんな気分はちょっぴりだけなんですけどね。
そして塾講師を卒業してからも13年ほど経つのですが
子供が塾に通い始めたこともあって、久々にプログレスを引っ張り出してみました。
中学生時代に苦労しながらも読んだ思い出と
大学生時代に熱く教えていた思い出と
両方がクロスしてフラッシュバックしてきます…。
嗚呼、プログレス。
今読んでも深いです。
内容は改訂されて変わっているようですし
今は塾でも使わなくなったと聞きます(入試を無視した内容とレベルだからなんでしょうが)。
私の子供が読むことがないのは残念です。
昔取った杵柄で
教えてみようかな(笑)。
ドラクエ9が発売されたんですね。
もちろん、買ってないですよ(笑)。
私がやったのは…ドラクエⅢまでかな。
高校受験の直前でしたが、やってました(笑)。
Ⅲでも結構、壮大なストーリーで凄かったように思うのですが
いったい今はどんなんなんでしょうね?
でも
一番覚えているのはドラクエⅠだったりします。
頭の中にマップまで出てきます(笑)。
あの哀しげな音楽も流れてきます(笑)。
20年以上前ですか…(遠い目)。
ドラクエ以外もいっぱいゲームしたな…。
ゲームをするためにパソコン買ってもらったり。
今は子供にゲーム機を買い与えることもしませんがね(苦笑)。
今日は日銀短観の発表でしたか。
一応…
私、元金融機関勤務です。
少しばかりですが、市場運用部門で仕事をしたことがあって
日銀短観と聞くと、ちょっと懐かしい気分になります。
マーケットの世界では、日銀短観の発表って結構な一大イベントなんですね。
では、ここで
元・証券アナリスト植田の経済講座(!?)です。
日銀短観とは
簡単に言えば、日本銀行が企業に対して行うアンケートです。
これがまた、細かく読んでいくと様々なアンケート項目があるんですけど
注目は一つの指標に集中しています。
「大企業製造業の業況判断DI」というヤツですね。
DIは「ディーアイ」と読んでもいいんですが
私はちょっとカッコつけて「ディフュージョン・インデックス」と読んでました(笑)。
カタカナで言うと難しそうな言葉ですが、中身はめっちゃ簡単。
業況が「良い」と答えた会社の数 マイナス 「悪い」と答えた会社の数
ちなみに選択肢には「良い」「悪い」の他に「さほど良くない」というのもあります。
それを、全体を100とした場合で数値化したものです。
この数値が、今回がマイナス48だった、という訳です。
ちなみに前回がマイナス58だったんで、「改善」したことになっている訳ですね。
この数字って…
「悪っ。」
ってカンジですね。
改めて見ると。
製造業はタイヘンな状況が続いているようです。
で、各種のアンケート項目の中で何故「大企業製造業」だけが注目されるか、というと
株式相場におけるウエートが大企業製造業が大きい
大企業製造業が景気サイクルの影響を受けやすい
と言った理由でしょうね。
やはりマーケットですから、株式相場を占う数字が注目されます。
ですから、零細企業や地方経済なんぞは殆ど実感するものとは違ってたりします。
そして、アンケートの集計が直近のもので速報性が強いのが注目の理由です。
逆にGDPの発表なんて、かなり前の経済状況の結果でしかないですから。
ところで、日銀短観は朝8時50分に発表されます。
市場運用部門では相場の動きとともにニュース速報みたいなの情報端末で眺めてますもんで、発表の時間が近づくと今か今かと画面を食い入って見ています。
で、発表されるや否や
「日銀短観、マイナス48です!!」
みたいに大声で叫ぶのが下っ端の私の仕事でした。
そんな思い出の日銀短観です。
昨日はブログ更新をせずじまいで失礼いたしました。
言い訳はせず、書きつづけたいところです。
で、今日は現場を巡回する1日となるんですが
外出する前に内勤のスタッフに指示を出すべく待ち構えています。
(出勤早々ややこしい仕事を言いつけられるスタッフには申し訳ないですが(笑)。)
私の経験でもあるのですが…
金融機関勤務時代に仕えたある上司の方のお話。
念のため先に書きますが
私はこの方が大好きで尊敬していましたので、決して批判ではありません。
本当に凄い人でした。
朝は早めに出勤
会社に着くなり出来る仕事を猛スピードではじめ
部下である私のデスクに私が着くまでに準備万端の書類をバシッと並べてあるのです。
もう、素晴らしい仕事さばきなのですが
私としては、着くなり山積みになった書類を見ると若干テンションが下がるので(笑)
取りあえず机の引出しにぶちこんでゆったりと仕事の段取りを考えたりしてましたね。
やはり人間、忙しくとも自分のペースで仕事をするのが精神的に最もいいのでしょうね。ま、そうはいかないことばかりですが。
あ、何度も書きますけど
本当に素晴らしい上司だったのですよ~!
嫌なことは一つもなかったですよ~!
心より尊敬して大好きだったんですよ~!
御関係の方がもし当ブログを読まれていても決して誤解のないようにお願いしますね!
昨日、ちょっとショックなこともありましたが
気にせずぶっちぎりです。
さて、前回は私の古巣である金融機関のお話でしたが
私にはもう一つの「古巣」があります。
何かというと学生時代のアルバイトなのですが
私にとっては簡単に「バイト先」などという言葉で片づけることのできない大切な場所です。
たびたびブログでも書いておりますが
県下随一の進学塾です。
中学生のころに通った塾でもあります。
そこで学生講師やってました。
教え子はトータルで1000人近い人数になります。
熱~い、熱血先生やってました(笑)。
バイトというより
仕事といういより
しまいに生活のほぼ100%を占めるに至り
青春そのもの(?)ってカンジだったような時代です。
お陰様で人前で喋るのが人並み以上になり、今も役に立ったりしています。
そして「仕事」を人並み以上にするために必要なことを学んだ点については
今なお、私の「原点」とも言える時代なんです。
そんな、想い出の場所へ
私の子供が通う歳になりました。
今は当時より遥かに大きな会社となり、社員数も何十倍の規模になっています。
しかし今なお塾長先生が陣頭指揮をとられていると聞きますし
バイト時代の同級のメンバーやご一緒させていただいていた社員の先生方もいらっしゃいます。
昨日、保護者会があるというので家内がお邪魔したのですが
私も時間が許せばお邪魔したいと思います。
ここもまた
温かい古巣です。
ABCラジオで日曜午後に
「浦川泰幸の気分はトレンディ」
という番組があります。
80年台から90年台の音楽を流す番組でして
「アラフォー」間際の我々としては結構ストライクなわけです。
とは言うものの、基本的に音楽に興味が薄い私が知っている曲はかなり限られます。
そんな中、昨日この曲が流れました。
「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)
この曲は・・・
思わず涙出そうになりました。
念のため言うと私は中山美穂さんのファンでも何でもありません。
この曲は私が21歳のころの曲(げっ、もう16年前!)。
当時私は大学生ながら、大学そっちのけで熱血塾講師バリバリでやっていました。
授業の有る無しに関わらず、毎日毎日塾で過ごす日々。
特に受験を控えた中3生指導は熱く、そして緊張の毎日でした。
生徒ひとりひとりに思い入れは強く、先生同士で生徒の話題で盛り上がることも多々。
そして最後の授業、入試、発表を経て・・・
「卒業式」があるんですね、この塾には。
丸3年間、ずっと教えてきた生徒たちを送り出す、最後の日です。
そして式の最後、「卒業生退場」というアナウンスとともに流れてきたのが
「世界中の誰よりきっと」
だったんですね。
この曲をバックに教え子たちが起立して歩いていく姿を見守りながら、目に入った子の一人一人の名前を心の中で叫び続けました。
正直、この曲全く知りませんでした。
流行の歌なんて全く聞いてませんでしたから。
ただ、今も目に焼きついているこのシーンとともに、この曲があるんですね。
そんな思い出の曲です。
そして
16年を経て
このとき送り出した教え子が家を建てるとのことで私に相談してくれました。
仕事を越えて嬉しいです。
そうかあ、もういい歳になってんもんなあ。
所帯も持って、家を建てるようになったかあ。
俺にとっちゃあ、まだ中学生の子供みたいに見えるけどなあ(笑)。
大和高田市のお客様とご縁があって、このところ大和高田へよく行く植田です。
大和高田市というのが正式名称ですが、地元の人間は「高田」とだけ呼ぶことが多いです。新潟の高田市と区別するために後になって「大和(やまと)」と付けられたわけですね。ですから地元にとっては以前から「高田」は「高田」だったんです。
で、その高田の町に私は過去に馴染みがあります。
会社勤めをしていたころ、実はこの高田の町をバイクに乗って営業していたのです!
もう、バイクですから細い道からバリバリ走って道の隅々まで熟知していました。
しかし。
今回のお客様宅へ行くのに久しぶりに走った高田の町のあるところ・・・
全然覚えてませんでした・・・。
あれだけ毎日暑い日も寒い日も
雨の日も風の日も
走り続けた、あの高田の町の道を
年月は忘れさせていたのでした。
ちょうど、10年前くらいの話です。
懐かしいんですけど、ちょっと悔しいと言うか・・・。
高田の道に詳しいことは自分の自慢の一つだったんですけどね。
高田の皆様
外構・造園・エクステリアの専門店リーフユニティをよろしくお願いいたしま~す!
さて、年末年始の予定です。
12/30~1/5
休業とさせていただきます。
これについては概ね業界に沿った形ですね。
工事のことですから「材料屋」さん、特に当日手配するしかない「生コン屋」さんが休みだと絶対できない作業もあるわけです。
また、あまり正月開け早々から工事にお邪魔するのもお施主様にご迷惑がかかってはいけないかな、と考えるところもあります。
私自身の感覚から言えば
金融機関勤務時代は 12/31~1/3 が休みでしたので
30日に休むというのは未だ違和感もあるんですけどね。
また、大学時代に塾講師をやっていたころも 12/31~1/3が休み。
ただ、「初日の出コース」などとして元旦に自習室を開け、屋上で初日の出を見て合格祈願をしたりとかもあって・・・熱かったですねえ。
今も中学受験部は正月特訓、やってるんかなあ。
そんな年末年始の思い出もありますが
現在は自分と家内の実家に行くお正月がやはり年中行事。
ありふれた、フツーの光景ですが幸せなことと感謝。
学校も今日が終業式で、明日から夏休みですね。
今日は子供たちが「通知表」をもらってくる日。
子供たちと会えない時間になってしまいましたが
明日から色んな話をしてやるかな。
学校の夏休みと言えば「長い」イメージがあります。
そりゃ、40日もあるんですから長いです。
それとまあ、私の場合たいした部活もやってなかったもんですから
「ヒマ」なわけですよ。
よけい長く感じるんですね。
最初こそ長い夏休みにワクワクしながら
「今年は宿題を計画的にサッサと片付けるぞ!」なんて考えて手をつけるのですが
朝からテレビでアニメなんてやってたりすると
(定番は「一休さん」とか「あさりちゃん」とか「怪物くん」とか・・・)
ダラダラと見てしまって午前中が終わります。
夏の高校野球が始まるころには
興味も大してないのにダラダラと見つつ
その頃には宿題など一切興味ナシ状態。
お盆は家族旅行などのイベントもあり
あっという間に過ぎ去るのですが
お盆が開ける頃には
「あ~、夏休みも後少しか~」とちょっとした後悔を感じながら
宿題のことが気にかかりはじめ懈怠感でいっぱいの夏休み後半です。
そして最後の3日くらいで観念して宿題に取り掛かる・・・
いやあ、懐かしいですね~!
今の仕事をしていると
もう、あっという間に9月になりますから
今は秋のことを考えないといけないわけです。
時間の感覚って
随分と違うもんですよね。
7月に入り、暑くなりました。
本格的な夏の到来です。
年に数回ある「季節の変化」を感じる時期ですね。
この時期にいつも思い出すのが
「就職活動」です。
私の就職活動と言えば
13年前になるんでしょうか。
当時の就職活動は5月~6月(もちろん最終学年です)がピークでした。
今のようにインターネット上の情報はなく
世間知らず、ネットワーク不足の学生にとっては
何をどうすればよいのか分からない。
まさに「社会」を見る第一歩だったのだと思います。
当時はバブル後遺症が残る中、企業が一斉に採用を絞りこんだ時代。
就職氷河期、という形容もなされていたころです。
一般的な会社は
セミナー参加→面接
という流れ。
金融機関については多くの場合
大学のOBリクルーターによる選抜
でしたね。
何せ考えの浅い学生のこと
活動中に色んなことが見えてきて
浅はかながら色んな思いが交錯し
社会の厳しさに挫折感も感じることも幾たびもあり
個人的な事件もあったりで
紆余曲折
内定を幾つか頂戴し
最終お世話になるところが決まりました。
活動が終了したのが6月の末ごろだったように記憶しています。
今となっては
お恥ずかしいレベルの学生でしたが
慣れないスーツを着てネクタイを締め
慣れない大阪の街を歩き続けた2ヶ月は
貴重な経験の日々でした。
そして、活動を終えてスーツを脱いだ頃。
夏がやってきました。
「この暑さでスーツなんか着てられんな。
上手いこと暑くなる前に就職活動が終わってよかった。」
と感じたのが今頃の時期。
本格的に暑くなるのは就職活動が終わる7月初めから―
それ以来私の中に刻み込まれています。
プロ野球のキャンプが2月1日に始まります。
我が阪神タイガースは沖縄・宜野座で一次キャンプを行います。
いいなあ~、沖縄。
数年前、家族で沖縄旅行に行きました。
宿泊したのは「ザ・ブセナテラス」というホテルでした。
沖縄サミットが行われたという、このホテル。
沖縄旅行へ行くなら絶対にブセナ。
行く前は散々迷ってブセナに決めましたけど、今後はブセナ以外には行くつもりはありません。
館内に入るなり、感動。
こんなロビー、他にあるんだろうか。
部屋からのオーシャンビュー。
気軽に行けるプールとプライベートビーチ。
レストランのチョイスもまた楽しい。
これまで色んなホテルや旅館に泊まりましたけど、これほど強烈な思い出のホテルは他にありません。
当時は添い寝で料金もかからなかった子供たちも大きくなって
とてもじゃないけど簡単に行けなくなりました。
でもいつか
また行きたい。
ブセナに泊まって阪神のキャンプに行ったりなんかできたら最高なんですが…
この点は家族の猛反対が予想され
実現しないでしょうな(笑)。
結構な雪が降りました。
屋根や土の部分はちょこっと積もりました。
当社がある奈良県桜井市で雪が積もる、となると一年に一回あるかないか。
しかし、同じ奈良県でもかなり積雪するエリアもあります。
すなわち、天川村洞川。
洞川温泉として、そして大峰登山の出発点として有名なところです。
約2年前の冬に不幸事で足を運びました。
桜井から大淀、下市まで全く雪はありませんでした。
そこから、黒滝に上ると所々雪が積もっています。
さらにトンネルを越えるたびに雪が増え、天川村に至るとすっかり銀世界です。
そこから、天川村の中心部から洞川へはさらに上ります。
上るごとに雪の量が信じられないくらい増えていくのです。
たちまち別世界に迷い込んだような光景に変わっていきます。
何十センチという積雪。
道路は完全に雪で覆われ、車の車輪のところだけ踏み固められた状態です。
夜に行ったので、闇の中で白い世界が光に照らされている様は幻想的な雰囲気ともいえる。
同じ奈良でこんな体験ができるとは…、という驚きの気持ちでした。
昨夜の雪は洞川ではどれだけの積雪をもたらしたのでしょうか。
今思うと、またあの別世界にまた行ってみたいなと思ってみたり。
温泉旅館で牡丹鍋などをつつきながら、雪の世界を感じるのも…いいんじゃないでしょうか。
昨夜、家内がテレビを見ているのを何気なく視ていました。
ダウンタウンが司会の番組で、番組名も知らないのですが出演者を見て「おっ!?」と思いました。
「オールディーズの木村やん!!」
木村祐一。
家内いわく「辺見えみりの旦那やな。」
それは知りませんが・・・。
懐かしいなー。
「4時ですよーだ」に出てましたよね~。
オールディーズ。
いや、特段オールディーズがどうこうはないんですけど、この番組がとにかく好きでした。
私にとっては高校時代。
4時にはじまるので、学校からダッシュで帰りました(自転車通学だったんで)。
オールディーズ以外にも130Rとかボブキャッツとか出てました。
4時ですよーだ終了後、木村祐一を見たのは初めてじゃなかったかな。
大学以降はテレビと無縁の生活になりましたから。
それでも覚えているもんですね。
これも思い出かなあ。
朝から植木の市場に行って戻ってきました。
植木の仕入れもばんばん行きますよ。
ばんばん行く、と言えば
こないだABCラジオで月亭八方氏が
「『いちご白書をもう一度』みたいなカンジで行きますわ」
(なるみ嬢)「あ~ばんばんね」
なんて言ってました。ばんばん・・・懐かしいを通り越してカラオケで人が歌っているのしか知らない歌です。
二人~だけのメモリー どこか~で もいちど~ ♪
音楽の趣味のない私にも響く曲だったような。
では、仕事に戻ります。
所用で市役所へ行ってきました。
で、その用事の窓口にいるのが私の昔の教え子なのです。
市役所にいることは以前から見かけて知っていたのですが、業務上の話をするのは始めてです。
うーむ、しっかりしている。
中学生の頃から想像もできないようなキチンとした受け答え。
成長したんやなあー
って、当たり前ですけどね。
もう30歳近い年齢になってるんやから。
ではAさん(って旧姓やけど)、今日の件よろしくお願いいたします。
懐かしいなあ。
教え子のみんなが大人になって活躍しているんでしょうね。
さて、これを読んでいる私の教え子がいたら・・・
一度リーフユニティに遊びに来てくださいね。
稲田塾で植田先生に英語を習った人ですよ!
朝から斑鳩町⇒奈良市⇒生駒市と回ってお昼になったので、帰り道の大宮通り沿いで昼食を取ることにしました。
で、学生時代に時々行った店に久しぶりに行ってみることにしました。
「蛸庵」というお店です。大通りに面して大きなお店ですので、結構有名なお店です。
ところで、こうやって食事をするお店の話題をするときに断っておかねばならないことがあります。
「私は味は語れない」
正直に言います。
私は大抵のものが美味しく感じられるようなんです。
先日、スタッフが食べに行ったラーメン屋がどうも美味しくないという話になりました。
早速(?)確認すべく食べに行ったのですが・・・
普通に食べられました。
いや、旨いとまでは言いませんよ。
そこまでマズイって言うほどじゃないような。
ま、そんなもんです。
なんで、蛸庵で食べたタコ焼きも焼きそばも美味しかったんですが、それについては語らないでおきますね。
懐かしいなあ~と思いながらも、少し昔とは違って綺麗になっています。
夜遅くまで開いているので、学生時代に塾のバイトが終わってから時折来ました。そして蛸庵で腹ごしらえした後は西大寺駅近くの「キャノンショット」というゲーセンに行くのが恒例。ここがまた、朝方まで開いてるんですねえ。
で、朝帰り。
なんとも気楽な学生時代を思い出した植田でした。
当社の展示場には庭木が多くあります。
ですから、今日も展示場で土なんぞいじくっていると
ミミズ
がいっぱい出てきました。
もちろん女子じゃあるまいし、ミミズくらいどうってことありません。
むしろ、ミミズを見ると嬉しい気分になったりするのです。
なぜなら
Earthworms make the earth good.
だから(なんかルー大柴のブログみたいやな)。
この英文、植田が中学時代に塾で習い、そして塾講師時代に教え込んだ「プログレス」という文章に登場する名文です。
嗚呼、”Eartworms make the earth good.”
ミミズを見つけると、この想いでの名文を思い出しては遠い目になる植田です。
この英文を教えていると、生徒の中から「ミミズは良い土を作ります。」という誤訳が発生します。長文の中で不意に出てくるから余計に見落としやすいのです。
植田先生はここ「良い土を作る」とした生徒を挙手させてチェックします。
待て、’the earth good’ がなぜ「良い土」になるんだ?
おかしくないか?
(ここで数秒、間を置く)
「良い土」なら’good earth’になると思わないか?
そこで止まっておかしいと思えるかどうかが英文が読めるようになるかの分かれ目やぞ?(これは真実。英語を単語の意味だけで適当に読むと上達が遅くなる。)
makeの意味は「作る」だけやないで。
最近出てきたやろ?何やった?(ここで生徒に質問)
make~…で~を…にする(にょろにょろをてんてんてんにする、と発音)って、あったやろ?そう、SVOCの文型やな。
(文型の授業は結構テクが要ります。私はこれが得意中の得意。)
だから、この訳はどうなる?
そう。
「ミミズは」
「土を良くします。」
そうなんです。
土を良くしてくれるんです。
だから私はミミズが出てくると嬉しいんです。
どんどん土を良くしてくれよ。
今日もミミズを見ては”Earthworms make the earth good.”とつぶやく植田でした。
8月にはお盆休みがあります。
当社は8月13日から8月17日まで。
この期間の取り方って会社によって結構マチマチですね。
業界的には17日は結構営業するところが多いかな。中には16日から、という会社も。
もちろん、役所や金融機関など盆休みそのものが無い会社も多くあります。
私の場合、学生時代に塾講師をやっていた頃のお盆休みのイメージが強くて、実は当社の休みの期間は当時の塾の休みと同じなのです。
夏休みには夏期特訓授業というものがあって、連日朝から晩まで授業をこなします。そして教材準備や授業計画、またテストの採点(私は意地でも即日採点、翌日返却していました)などが深夜に及びます。
そんな仕事のハードさに加えて、受験生とともに熱く燃えるのが夏期特訓でした。
そんな夏の中の盆休み。何かポッカリと時間が空いて、心の休息の期間でした。仲間たちと行き当たりばったりの旅行に行くのも決まってこの期間でした。
授業再開は8月18日。
前日からは既に準備の仕事をスタートさせます。
思い出深いだけに、この日付を忘れることがないのです。
と、言う訳で当社のお盆休みの日程が決まっています。
普段から会社としての休みがない(スタッフは交替で休んでいます)ですから、この期間は静まり帰った事務所となります。
私?こんな時ならではの仕事がありますよね。
役所と金融機関は開いてますし。
そもそも私は元・金融機関勤めですから盆に休みなんて無かったしね。
それでもちょっとはお盆休みが楽しみだったりするんですけど。
81.営業・接客部門カイゼン
これまでを反省することも多いです。
選挙の日。
皆さん、もちろん行かれましたよね。
政治への関心も人それぞれですし、正直今の私は自分の会社のことで頭がいっぱいです。年金問題を考えている訳じゃありません。でも、選挙権だけは放棄しないと決めています。
そして色んな理由から投票する政治家を決めます。
しかし、過去一番困ったのが、東京勤務の頃。
一年間、千葉県船橋市の住人だったころの私が参加した選挙が
船橋市議会議員選挙。
これには辛いものがありましたね~。
候補者を誰1人として知らない。
情報が何もない。
誰からも応援を頼まれていない。
政党もなく、皆が無所属。
とは言え、「選挙は棄権しない」信条に従って、投票所に行った訳なんですが…
選ぶ理由が何にもない。
この時ばかりは苦しかったです。
もう、名前を見て適当に選ぶしかありません。
さすがに意味がないようにも思いましたが…やはり棄権しないことに大きな意義があると自分に言い聞かせてテキトーに選んで投票しました。
こんな選挙はこの時一回だけですけどね。
さて
80.原価管理方法のカイゼン
実行しました。
あと20件、必達します。
京都に行ってきました(もちろん仕事ですよ)。
学生時代が京都だったので、京都へ行くと何か懐かしさを感じます。
(大学の授業なんか全然行ってなかったやないか!と、学生時代の私を知る人からは突っ込みを入れられそうですが。)
特に懐かしかったのが「京阪電車」です。
これに乗って通っていたのです(いや、まあ毎日ではないにせよね)。
この京阪電車と、私の住む奈良へ行く近鉄電車が接続しているのが
「丹波橋駅」
です。
この駅での乗換えが、これまた懐かしい。
十数年ぶり・・・?
いやあ、懐かしいなあ。
忘れもしません。
大学時代に飲み会でメチャ飲みして
この駅で吐きました。
そうそう、この辺の植え込みに吐いたよなあ、なんて思い出しながら帰ってきました。
しょうもない思い出話で大変失礼いたしました。
台風が接近しています。
奈良にも接近しそうなため、心配です。
この仕事やってると特に思います。
台風といえば思い出されるのは98年9月にきた台風です。
当時会社勤めだった私はバイクに乗って営業に出ていました。
台風と言ってもちょっと雨が降るくらいやろ、と完全にタカをくくっていたのです。
実際、雨も大したことはなかったのです。
その1時間前までは。
当麻町(現葛城市)から大和高田市の会社へ帰る途中に風がどんどん強くなってきました。
ついには運転が困難になってきたのでバイクを降りて押して歩いていました。
既に経験したことのない暴風です。
とうとうバイクを押すこともできないくらいの暴風雨となり、いったんバイクを放棄せざるを得なくなりました。
するとその時。
「バキバキッ」
南のほうから看板が飛んできたのです。
その他、木の枝やらそこら中の物が私めがけて飛んできます。
「やばいっ!」
身の危険を感じました。
どこかに非難を、と辺りを見回すとガソリンスタンドがありました。
なんとか辿り着いて建物の中に非難させていただきました。
30分くらいかくまってもらったのですが、ガラス張りの建物ですから外の様子が丸見えです。たたきつけるような暴風雨がしばらく続いたのです。
30分ほどしたらカラリと雨も風も止みました。
後で聞いたところ、このエリアは特に風が強烈で鉄道の鉄塔まで倒れたというのです。色んなテクニカルな条件が重なって強烈な暴風雨になった、とニュースでやっていました。
教訓。
絶対に台風をナメてはいけない。
大したことないことも多いですが、何があるかわからないです。
皆様もご注意ください。
奈良で外構・エクステリアの専門店「リーフユニティ」をマネジメントしている植田です。
「わんこそば」ってご存知でしょうか?
岩手県の郷土料理(って言っていいのかな)です。
小学校3年生くらいに家族旅行で連れていってもらいました。
東北をあちこち回る団体でのバス旅行だったのですが、わんこそばだけが鮮明な記憶として残っているのです。
普通のそばなんですが、御椀に一口サイズのそばが入っています。
それを食べるとお店の人がすかさず御椀に新たなそばを流しこんでくれます。
ギブアップするまでおかわりできます(と、言うかおかわりを自動的に流し込まれる)。
要するに、食べ放題で「何杯食べられるか?」に挑戦するという趣旨なんですね。
小学3年生時代の私の記録は
「18杯」
でした。
この数字が忘れられないのです。
すなわち
「悔しい~!!」
たったの18杯!?
いかな小学3年生だったとは言え、せっかくの挑戦がたった18杯でギブアップとは・・・。
私の父はバス内トップでした(何杯食べたのか忘れましたが)。
子供心に悔しさと父に対する羨望の思いが渦巻いていたのです。
もう一度チャレンジさせて欲しい・・・と思い続けて
20年以上が経ってしまいました。
調べてみると、成人男性の平均的な記録は約50杯だとか。
よし。
目標は100杯に設定!
今年はムリですが、近年中に必ず挑戦しに行きます。
もちろん家族でね。
こんな想い出を残してくれた亡き父にも感謝。
奈良で外構・エクステリアの専門店「リーフユニティ」をマネジメントしている植田です。
私は生まれ育った場所に住み続けています。
ですので当然
私の子供たちはが通うのは私の母校となります。
小学校は私が通っていた所からは移転しています。
だから校舎には懐かしさを感じることはありません。
習っていた先生もいません。
しかし、当時から変わらぬものがあります。
校歌
ですね。
小・中・高とありますけど、小学校の校歌って一番思い出ありません?
一番長く歌っている上に、何か純粋に一生懸命歌っていたんでしょうね。
歌詞も忘れていない。
子供の入学式で懐かしい校歌を聞いたときは・・・
ちょっとだけですけど
目頭が熱くなったような。
超ローカルネタですいません。
校歌に「花咲く丘のその日より」
というフレーズがあるんです。
母校では、校歌にちなんで学年末に「花咲く丘」という文集をクラスで作ります。
印刷用の特殊なシートにボールペンで書いていくのが強烈な思い出なんですね。
歌を聴くとそのころの光景が鮮やかに蘇るのです。
ああ、懐かしい。
「花咲く丘」
子供たちと一緒に懐かしい校歌を歌いながら
幸せを感じています。
奈良で外構・エクステリアの専門店「リーフユニティ」をマネジメントしている植田です。
実は息子の名前を○太郎としたのですが、この名前は結構遊べます。
まずは裏声で「オイ、○太郎」とやる目玉オヤジごっこ。
そして「○太郎~!!テメエのバカさ加減にゃあ父ちゃん情けなくて涙出てくらあ!」
とやる、あばれはっちゃくごっこ。
はっちゃくオヤジのこの名セリフ。
ちなみにオリジナルの名前は長太郎です。
20年以上たっても映像とともに記憶に残っています。
ある意味憧れる父親像だったりします。
皆さん知ってます?覚えてます?
「あばれはっちゃくシリーズ」
これ、理解してもらえるのは同世代だけなんかなあ??
リーフユニティの植田です。
あるところで私のブログを紹介いただいたため、多数の方にアクセスいただきました。
あるところというのは私が学生時代に稲田塾で講師をしていたとき、ご一緒させていただいた方でkamiesu先生という方です。現在、独立されて自身の塾を運営されています。
紹介箇所をリンクすべきところなのですが、ちょっと恥ずかしい部分もありますので今日のところは控えておきますね。
先生は楽天でブログを書いておられるんですが、今や塾業界のカリスマブロガーです。
ブログのアクセス数もすごく、全国に読者がおられるようです。
そんなブログで紹介いただいたため、当ブログに通常の数倍のアクセスを頂戴したわけです。
恐るべし、カリスマブロガーの影響力。
kamiesu先生、ありがとうございました。
そうと知ってたら、もっとかっこつけた文章にしたのになあ(笑)。
塾業界の皆様、大変失礼いたしました。
ってことで今日は思い出話にしましょう。
kamiesu先生には私の結婚式でもスピーチをお願いしました。
何せ喋りは最高級ですから、スピーチをすれば聴衆を見事に引きつける感動のストーリーを語っていただけます(そのせいか私以降もkamiesu先生にスピーチを頼む人間が続出しました)。
そのスピーチで今でも忘れない言葉があります。
「私は彼よりも先に稲田塾で先生をしていますし年齢も上ですが、彼を後輩だと思ったことはありません。
彼とは私が初めて学年主任を勤めた学年の子供たちを3年間ずっと一緒に教え、共に送りだしました。
ですから彼は3年間を共に戦った戦友だと思っています。」
細かい文言は別として、こんな内容でした。
今でも心に残る感動のスピーチ。
そして、私も全く同じ思いでした。
ありがとうございました。
リーフユニティの植田です。
いかがです?
これは現在工事中の動物霊園様です。
犬や猫のシルエットを樹脂舗装で描きました。
まだ完成ではありませんが、デザイン通りの施工ができそうです。
「他と違ったものを造りたい」というのが先方の社長と部長の想いでした。
それに少しはお応え出来たでしょうか。
ある意味パブリックなスペースですし、完成して先方の了解も得られたら当社も施工事例として公開していきたいと考えています。
私どものお客様には興味を持っていただけるし、先方にとっても宣伝になる。
逆に、パブリックなスペースだからこそ私たちにとっての宣伝にもなる。
地域密着営業を目指す当社としては、地域内の様々なネットワークを構築することが勝ち筋になります。
良い出会いに恵まれました。
リーフユニティの植田です。
今日の1日は・・・振り返ってみるとロクでもないことが多々ありました。
しかし、悪いことは忘れる。これに限ります。早くも忘れかけていたんですが、ブログを書こうとして思い出したくらいです。
ちなみに忘れて済ませないことは解決して進む。これが私の信条です。悩んでいるだけでは意味ないので結論まで考えます。お蔭様で私はストレスは溜めない性格です。
と、いうわけで今日のブログは仕事と離れましょう。
「探偵ナイトスクープ」のDVDがバカ売れしているらしいですね。
思わず買いに行こうかな、なんて思っています。
高校時代、ですから今から15年以上前から見ていました。
伝説の名作「淡路島のパラダイス」をリアルタイムで見たときは強烈でした。腹を抱えて笑い転げました。
最後のオチ「あー楽しかった。岡部まり」
上手い!
桂小枝!
今はそんなに上手くないのに(笑)。
このときは神がかり的な上手さやったなあ。
大学受験を控えたときも必ず見ていました。
センター試験(ちなみに私の1学年上までは共通1次試験の世代)の初日を終えて帰ってきた日も見ました。
当時は土曜日にやっていました。
その後、「森脇・山田の抱腹Z」という番組もついでに見ていました。
なぜかその番組のテーマソングだけ今でも覚えています。
「君が笑顔見せるときには♪、僕の心も揺れてしまう~♪」
とかなんとか。知っている人いません?
報復Zを知っている人がいれば是非一緒にこの歌を歌いたいです(全くどうでもいい話ですいません)。
やっぱりDVD買おうかなあ。見る暇がないか、うーん。
リーフユニティの植田です。
コンビニなんかで昔懐かしい漫画を見かけることが増えました。
子供のころに読んだ漫画が懐かしくてつい買ってしまう・・・そんな狙いなんでしょうね。
子供の頃、私は漫画を滅茶苦茶読みました。
その頃自分ではそう思っていなかったのですが、今振り返ってみると間違いなく言えます。とんでもない量の漫画本が私の部屋には存在していたのです。
気に入った漫画は何度も何度も読み込みました。
それこそセリフを暗記するくらい。
その一つが「釣りキチ三平」です。
釣りのみならず、この漫画は深いんです。
小学生時代の私は「釣りキチ三平」からおびただしい知識を学んだと思います。
釣りや魚以外に言葉、地理、世の中の仕組み、その他雑学・・・。逆に子供時代には読み取れきれなかった部分もあったように思うくらいです。
あるとき「釣りキチ三平」で出てきたセリフを親に言ったことがあります。
「~だと言えよう」
こんな言い回しでした。
小学校3年か4年くらいのときだと思います。
「なんちゅう言い方すんねん!?」と驚かれました。
確かにおかしいですね。
子供のセリフやないし、関西弁の口語では普通言いません。
だから余計ビックリされたんですが。
でも、「何でそんな言い方しってんの!?」と言われました。
そう、私は「釣りキチ三平」で様々な言葉を覚えたんです。
北海道の釧路湿原、八代海の干拓地、和歌山の紀ノ川畔・・・
こんな地理の知識も映像とともに蓄積されました。
間違いなく私の人生に影響を与えた漫画です(って、大げさか。釣りは今はやってないし)。
懐かしくて、ついコンビニで手にとってしまいますが・・・衝動買いは我慢してます。
リーフユニティの植田です。
暑いです。
いよいよ夏本番が近づいてきましたね。
それでも、既に夏至は過ぎていますから日は短くなっていきます。
暑さはこれからなのに日照時間は減っていく、このギャップは毎年のことながら不思議な気もしますね。
季節の移り変わりを感じることは季節の折々にあります。
中でも私にとって特に印象的なのが、夏の盆明けくらいの季節です。
学生時代に稲田塾という塾で講師をしていたころの思い出―。
夏休みですから「夏期特訓」と称して朝から晩まで授業が行われます。
生徒たちは朝の部、昼の部、夜の部のそれぞれに分かれていますので、昼と夕方に生徒の入れ替えがあります。
私たち講師は校舎の外へ出て、生徒の入れ替えの交通整理をします。自転車置き場の整理であったり、交差点の安全管理であったり。
夏休みがスタートする7月の下旬は暑さのピーク。
猛暑の中で生徒たちを送り迎えします。
それが盆休みが明けると、夕方の入れ替え時はかなり暑さも和らぎます。そして夕暮れが近いことを感じるのです(この入れ替えは5時半ごろ)。
「あー、かなり日も短くなってきたなあ。夏休みももうすぐ終わりかあ。」
と、少しばかりの寂しさも同時に感じながら―。
季節の移ろいを感じる場面は他にもいろいろありますが、私にとってはこの時期のシーンが映像になって残っています。
リーフユニティの植田です。
雨が続くようですねえ。おかげでお客様のところへ行く予定が延びてしまいました。
今日はそれ以外は役所関係の業務ばかりでした。
役所関係の業務はブログに書いても仕方がないので、今日は日記というより自分のことを少しばかり書いてみたいと思います。
私はいわゆる文科系です。
スポーツは全くやりません。小学校のときにちょこっと剣道をしたことがあるくらいです。
野球を見るのは大好きですが、やるのは無縁。ソフトボールですら監督希望です。
勉強は得意なほうです。
人には「何でもすぐに覚えられてええなあ」なんて言われることもありますが、暗記力は人並みです。
覚えられるのは、物事の本質を見極めようと自分で考えるクセがついているからだと思います。
「要するに~ということ」「~なイメージやな」と考えることによって自分のものとなります。字面だけ眺めても覚えられません。また、考える際には「~ちゃうかな」「~考えたらどうやろう」と仮説をたくさん考えるようにします。それがスッと当てはまるのが発見であり理解であるのです。
仕事のスタイルも、徹底的に考えて動くというスタイルです。
学生時代に稲田塾というところで講師をしていたときからそうでした。どうすれば生徒の学力が上がるのかを追求して教材・カリキュラム・宿題等の出し方・小テストのやり方・イベントの打ち方などを磨き上げていくというキャラの先生でした。常に新しい方法を模索し続けました。
今は社長として考えることが滅茶苦茶にたくさんあります。そんな中で出入りする情報もおびただしい量です。
必要な情報、重要な情報を的確に把握して行動に変えていくことにより、ビジネスでは成果をあげることができます。「こうやったらええんちゃうか」「試しに~してみよう」と考えるのは先ほどの勉強のときと相通じるものがあるような気がします。
案外、世の中の小さな会社の社長は思案も行動も少ないのが本当のところです。
たかが私が言うのもどうかと思いますが、建設業という業界は特にそうなのです。
逆に言うと、行動が結果につながりやすい。
高校生までは、勉強はできるけど大して目立った奴でもありませんでした。何も行動していなかったんでしょうね。
しかし、仕事となると考えて行動し、思ったことは堂々と発言できました。そうするにより目立ちました。
えらい違いです。
思い返せば不思議な気がしますね。
リーフユニティの植田です。
今日は面白い出会いがたくさんありました。
そんな中で、昔の塾講師をしているころの教え子と偶然会ったのです。
同業ではないんですけど、関連する業界でやっているとのこと。
ビジネス上の良い関係が築ければさらに有難いのですが、ビジネスを抜きにしても嬉しいです。
う~ん、懐かしい。
彼を教えていたのは20歳前後のころ。
私の塾における指導が心・技・体のバランスが最高潮にあったころです。
初めて教えた教え子には思い入れは最高に強いですが、なにせ経験がない分技術が伴ってなかった点もありました。
また最後の方で教えたころは技術は身についているものの、「慣れ」が悪い方に働いて技術に頼ってガムシャラな気持ちが不足していた点もありました。
今日再会した彼を教えていたころは学年全体をとりしきる役回りを演じていたこともあり、精神的には最高潮に燃え上がっていたころです。また、技術的にも経験をふまえてグングン向上していたころでした。
そんなころの教え子のR君。
彼にとって私は先生なのですが、今になってどう振り返ってくれるのでしょうね。
そんなことでビジネス以上にこの再会が嬉しい。
今度ゆっくり飲みながらでも話しようよ、R君。
リーフユニティの植田です。
春のフェアで「ウッドデッキ祭り」を開催します。
なかでも、「デッキセミナー」と題して私が講師役でウッドデッキ選びのポイントなどのお話をさせていただくイベントを予定しています。
さて、上手く話せるかどうか・・・。
元・稲田塾講師として当時の片鱗をお見せできればいいんですけどね。
人前で話をする、というのは全くと言っていいほど経験したことがない人も多いんですよね。私の場合は学生時代にその経験だけは多くさせていただき、今も本当に良い経験となって生きています。
社会人になってからは社内の勉強会の講師役、結婚式のスピーチ、そして社長となった今は尚更人前で話す機会が多くなってきています。話は大して上手くないけど、何とか「慣れてはりますね。」と言っていただける水準にはあります。
そして人前で話すこと以上に、稲田塾の講師として突っ走った学生時代に多くのことを経験し、感じ、考え、行動したこと、それら全てが私の大きな財産です。大げさかも知れませんが、私の人生の原点だといえます。
そして現在。
社長道は生半可な世界ではありません。
正直、想像を遥かに越えていました。
しかし学生時代の原点があるからこそ私は勝負できている。
学生時代の自分に負けないこと、それが今の私の最低目標です。
リーフユニティの植田です。
今日も雪がちらつく寒さでした。
一気に春になったかと思いきや、一旦押し戻されましたね。
例年のことかも知れませんが、3月だと言っても「冬」だったりしますね。
今日は「3月」を振り返ってみたいと思います。
学生時代は稲田塾という進学塾で講師をしていました。
3月は最終の入試、そして教え子を送り出す月でした。
最後の授業、入試と合格発表、そして卒業式。様々な思い出が詰まった月です。
金融機関に就職し、当初の2年は全く季節感や月のイメージはありません。毎日毎日同じことをし続ける、そんな日々でした。
営業担当になったときは決算月の思い出です。期末の数字を追いかけるラストスパートの月でした。今のビジネスからすると無意味とも言える営業活動にあけくれていました。それでも数字を出したときは達成感もあったのを覚えています。
本部に異動した後は「仮決算」の月です。見込まれる3月の計数を積み重ねて3月末の決算の数字をつくっていく、そんなことをやっていました。また、4月に発生するおびただしい決算処理を控えて「今のうちに準備して…」てなことをいつも考えていました。
仕事と関係ありませんが、プロ野球はオープン戦の季節です。今年こそは、と毎年期待してオープン戦だけ強い年もあればオープン戦の段階で「ダメだこりゃ」という年もあったり。今、強くなった阪神タイガースの様子は隔世の感もあります。
そして現在は期末の工事ラッシュと春のフェア準備に走り回る月です。
これが私にとっての3月。
その時々に暖かい日もあれば雪のちらつく日もあったのでしょうね。
皆様にとってはどんな月でしょうか。
リーフユニティの植田です。
本日2回目の投降です。
7月
越井木材工業さんと縁があって大阪の本社へ伺う。シロアリの実験室に入るなど、貴重な体験となった。この頃から直営職人の朝礼を開始し、カイゼンに着手。香芝のSさんの相談を受け、成約。思い出の現場である県立図書館の管理も受注。
8月
Kさん入社。ハウスメーカーの営業経験者であり、大いに期待。初めてのリーフユニティ総会を実施。営業方針の発表とともに、安全教育を実施。今後も続けていけそう。盆明けには社内研修を実施し、東洋エクステリアさんのショールームを見学。フェアのお客様にご実家を紹介いただく。これも大きな自信になった。当ブログがスタート。
9月
秋のフェアの企画が本格化。様々な提携をすすめる。エクステリアメーカーさんとも多くお会いできた。桜井市の公園管理の仕事も完了。直営職人の日当にメス。これもカイゼン事項。下旬に退職する事務員との交代要因の件でで派遣会社にオーダー。このとき来てくれたYさんはヒットで、さらに陣容は強力になったと思う。
10月
期待の若手職人のY君が入社。ハートが熱く、本当に期待が持てる。秋のフェア準備は佳境に。しかし、スタッフの皆は春の経験を生かして動きが良い。これも今後に手ごたえを感じる。県立図書館に2回目の管理作業に入る。今後も続けたいと思う。
11月
秋のフェア開催。集客は春に及ばなかったが、内容は春を上回れた。私自身も多くの成約を獲得。ホームページ製作の打ち合わせスタート。2回目のリーフユニティ総会を開催。災害補償制度が発足。
12月
春のフェアの企画案スタート。事務部門でのカイゼンもすすめる。昔の教え子との予期せぬ面白い出会いも多くあった。工事は忙しさのピークとなり、休みなしの体制となる。
こんなところでしょうか。
もちろん、ここでは書けない内容もあり、良い事ばかりではありませんでした。
しかし、ハッキリと言えます。
この1年間、しっかりと前に進んだ、と。
来年も今年以上の手ごたえを感じながら振り返られるようにせねばなりませんね。
リーフユニティの植田です。
とうとう大晦日になってしまいましたね。
それでは簡単に1年を振り返ってみます。ちょっと長くなりますが…。
1月
B社さんと積算ソフトの打ち合わせ。このソフトは今も大変役立っている。県立図書館の植栽工事の準備。思い出の現場となる。CADオペ採用のため派遣会社と商談の上、Kさんを採用。Kさんは今も活躍してくれいていて、大成功の採用だった。
2月
フェアのチラシ作りも佳境に。写真集めやらイベントの詰めやら。新規開拓先T社への営業活動にも注力。それも今、実を結んでいる。
3月
フェアの準備活動も大詰め。出来上がったチラシは素晴しい出来映え。Kデザイナーとの出会いに改めて感謝。T社との取引推進には京都・久御山まで行った。結果的には失敗だったが、チャレンジ精神は忘れないでいたい。26日に春のフェアがスタート。2日目の日曜日は凄い人出となった。
4月
春のフェア終了。大きな成果と手ごたえが残った。その直後父が死去。多くの方々に参列いただいた。仕事のほうは少しストップしたが、その後フェア案件の営業活動や桜井市の年間管理の獲得もできた。
5月
ゴールデンウィークは何もできなかった。これは今も悔いが残る。毎日新聞の取材を受ける。これは後になって「良い事」に繋がった。フレンドの西田社長との出会い。以後、私の経営者としての意識を大きく広げてくれた。新規開拓先I社へ訪問。これも成果があがる。
6月
桜井市の現場がスタート。現場管理に走り回る。フレンド橿原店の工事が決定。新規開拓先のA社の工事も決定。I社の社長さんとも面談するなど、色々な成果が上がった。採用活動にも注力し、工事担当のSさんが入社。こちらも心強い戦力となってくれている。
(次へ続く)
リーフユニティの植田です。
急に寒くなったこともあり、体調を崩されている方も多いようですね。
私は今のところ元気ですが、そう言えば去年の年末にぶっ倒れたことを思い出します。
それも、忘年会の最中でした。
ビールを飲んでいた影響もあったのかも知れませんが、ふと気が抜けた時に突然意識を失ったのです。
しばらく全く記憶がありません。
ようやく頭の中がグルグル回っているような状態。
何が何だかわかりません。「ここは何処?」の状態です。
ようやく「あっ、忘年会の途中だったんだ…」と意識が戻り、起き上がろうとしたら今度は体が動かない。
起き上がるのに必死です。
ようやく起き上がった時は肩で息をする状態でした。
後にも先にも意識を失ったのはこの時だけです。
思えば、まだまだ経営者としての私が小さかったときです。
真っ暗闇の中を無我夢中でもがいていた頃。
体調を崩していたところに酒を飲んだのが直接の原因だと思います。
しかし、極限まで行った精神状態が引き起こしたことだったのか、とも思います。
今なお、明るい道を歩けているわけではありませんが、足元と目的地は見えてきました。
今年は何とか倒れることなくお正月を迎えることができると思います。
リーフユニティの植田です。
私が稲田塾というところで講師をやっていたことはこのブログでも何度か書きました。
その私も中学時代は稲田塾に通っていたのですが、その稲田塾主催の同窓会があるというのです。
歴代の東大寺クラスというクラスの卒業生が対象の同窓会組織を発足したとのこと。
懐かしいなあ。私の場合同級生だけじゃなく、講師時代の先輩や後輩、そして直接は教えてないけど、教え子の世代もいますしね。もちろん、恩師の塾長先生や澤田先生にもお会いしたいですね。
また、ひょんなことから当社の職人さんの娘さんも卒業生だったことも分かりました。
それに、何か新しい出会いの予感もする。
奈良で根を張る私にとって、稲田塾は大切な母校です。
良い機会を作ってもらって感謝です。
リーフユニティの植田です。
今日から県立図書情報館の現場に入りました。
11月のオープンを控えてのメンテナンスです。
ここは、私には非常に思い入れの深い現場です。
ここでは、今年の1月から3月の間に植栽工事に行きました。
県発注の所謂公共工事ですので、入札において落札したのですが、それまでの経緯や落札後の完工に至るまでの日々は本当に忘れることのない思い出となっています。
そして、私を大きく成長させてくれた。
当社のめざす道は、決して公共工事にすがる建設業ではありません。
そういう意味ではこの工事は私たちが日々目指している内容とは全く違います。
しかし、それでもこの現場は一生忘れることはないでしょう。
図書館ですので、今度家族も連れていきたいと思っています。
そして、子供たちに「この木はお父さんが植えたんやで」と言いたいです。
リーフユニティの植田です。
夏が来れば思い出す♪
とはよく言った(歌った)もので、夏の思い出って何か特別な色がついているような気がしませんか?
今日は以前、私が学生時代に講師をやっていた稲田塾のことを思い出しました。生徒たちが夏休みに入ると、夏期特訓と称して毎日のように授業があります。
普段は塾ですから夜に授業をするのですが、夏休みは朝からです。何か普段と違った独特の雰囲気の中で朝から晩まで授業が行われます。私も多いときは毎日70分の授業を7コマやってました。さらに自習している生徒の質問に答え、回収したテストの採点、また翌日の授業の準備…毎日が深夜まで勝負です。
振り返ってみれば、私の人生の中でも、本当に充実して輝いていた時期だったように思います。もはや、バイトとか仕事とかそういうモノを超越した毎日。
会社勤めのときには忘れかけていた感覚。
経営者となった今、かなりその時の感覚に近づいてきました。でも、まだまだできる。今日は思い出すとともに、反省です。まだまだこんなもんじゃないはず。頑張ります。