先日、とあるご縁で

熊本からお越しの皆様を飛鳥エリアのご案内をいたしました(^^)/


私、飛鳥の歴史のちょっと凝っておりまして

自社の店内に石舞台まで作ってしまったくらいです(笑)






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(当社展示場内の石舞台みたいなもの)
まずは、飛鳥時代についてレクチャーしました。

西暦で言うと7世紀、600年代を中心とした時代です。
推古天皇即位の592年から平城京遷都の710年まで、と考えることが一般的です。


飛鳥地方に都があったので、「飛鳥時代」と呼ばれるわけですが

では、その前はどこに都があったのでしょうか…??




日本書紀には飛鳥時代以前についても詳しく書かれています。


それによると現在の桜井市、磐余(いわれ)というエリアや磯城というエリアを天皇ごとに都というより「宮」が転々と移されていたことになっています。都というほど大掛かりなものはなかったようです。


しかし、です。



この飛鳥時代の前の時代の「宮」というものについては明確な考古学上の発見が極めて乏しいんですね。

私は桜井市民なので、所々に「〇〇宮伝承地」という石碑を見た事もありますが、これらは実際に発掘調査の成果を伴うものではありません。日本書紀の記述を元に、「まあ、ここらへんかな」というカンジで、言わばまあ、言ったもん勝ちみたいなところでしょうね。


それが、飛鳥時代となると大掛かりな発掘調査の成果がザクザクと出て来ている訳です。


それだけ飛鳥時代に国家体制が整ってきた、という事も考古学上から読み取れるのと

飛鳥エリアは田畑として残った部分が多かったため発掘できた、という側面もあるでしょう。逆に桜井エリアは発掘したくても市街地になっていて発掘できないところも多々あるのです。


ちと長くなってきました。

これ、ちょっとシリーズ化しましょうかね…(^^)


次回に続きます(笑)