稲田塾の教え子たち

 

前回のブログにコメントをいただきました。

 

 

コメントしてくれたのは

 

私の稲田塾時代の教え子。

 

 

彼を教えていた頃となると
もう、20年くらい前ということになります。

 

 

懐かしくって・・・嬉しいです。

 

 

 

 

稲田塾で先生をしていた事は時折書いていますけれど

 

今日は教え子たちについて語るとしましょう・・・。

 

 

学生アルバイトとして先生を始めた当初の研修的な期間は別として
初めて担当させてもらった学年は18歳だった私の6歳下となる中学1年生でした。

 

彼らを3年間担当させてもらいました。

 

正直、何から何まで初めてのことで
授業のスキルも未熟なところばかりだったと思います。

 

この学年の教え子たちからすると

 

「ちょっと頼りないけど、頭のいいおにーちゃん」くらいの印象だったんじゃないかと思います。

 

ただ「想い」だけは強烈に持ち続けていて、それが何となく子供たちにも伝わっていたような・・・最後にそんな風に感じることができました。

 

 

 

 

その一級下、私からすると7歳下の学年も3年間担当させてもらいました。

 

2回目の指導となると、その1年前の経験が凄く大きくて
自信をもった指導をすることができました。

 

中学3年生の時点では全クラスを担当して、中心的な役割を果たすことができたことで
それなりの存在感を発することができました。

 

この学年の教え子たちからは「厳しいけども熱い、熱血先生」と見られていたカンジです。
(ちなみにコメントをくれたのは、ほぼ間違いなくこの学年の生徒だと思います。)

 

 

 

 

更に一つ下、8歳下の学年は中2と中3時に担当させてもらいました。

 

この頃は3回目の自信がみなぎり・・・過ぎた感もあり(笑)
また中2から入った際に厳しい指導から入った経緯もあって

 

この学年の教え子たちの間では「自信過剰で怖~い先生」になっていたようです(汗)。

 

しかし、英語の教科指導については最もハイレベルなところまで辿りついていました。
この年の指導については今もなお自信を持っています(こんな事言ってるからダメなんでしょうかね(笑))。

 

 

正直、ここまでの教え子たちのことはハッキリと覚えていて忘れることがないと思います。

 

それだけ、熱い想いとともに教え切ったつもりです。

 

 

 

教え子たちにしてみれば

 

きっと忘れられているだろうな、と思うのかも知れませんが

 

凄くハッキリと覚えているんですよ・・・!

 

 

 

そして、私が学生最後の年に担当した中2、中3の教え子たちがいます。

 

実は就職活動のため塾の先生を休ませてもらった期間があり、短い期間しか担当することができなかった学年です。

 

さすがに中心的な役割とは行かず、サブ的な存在だったため教え子たちの印象は薄いと思います。

 

さすがの私もハッキリ覚えているとは言い難いところですが…。

 

 

 

全て合わせると、1000人を越えているだろうと思います。

 

 

そして私が塾の先生を卒業した後も、そんな教え子たちに出会う機会が色々とありました。

 

 

街でバッタリ出会ったり

 

稲田塾にアルバイトとして戻ってきていて会ったり

 

私が就職した銀行に後輩として入行してきたり

 

後輩の結婚式に行ったら、その親族として来ていたり

 

ウチの花屋(花木らんど)や喫茶店(カフェぽたりぃ)に働きにきてくれたり

 

この仕事になってお客様として御縁があったり

 

仕事で出入りする市役所等に勤めていて出くわしたり

 

子供が通う小学校や幼稚園で同じ父兄として出会ったり

 

なんと、子供が通う中学校の先生になっていたり(!)

 

 

 

色んなところで出会うものですね…!

 

 

 

そんな教え子たちとの「縁」は改めて私の大切なものだと思っています。

 

今なお年賀状のやりとりのある子たちもいます。

 

 

そしてこうやって、ブログを読んでくれることもあるんですね。

 

 

 

教え子のみんなへ

 

植田先生は(自分で言うと恥ずかしいですね)、みんなの事は忘れてへんで!

 

俺にとっては若いころの、みんなにとっては子供のころの「縁」やけど・・・

 

 

人生は人の縁

 

 

いつかどこかで・・・

 

 

また会えたらいいね!