星野仙一氏への感謝

星野仙一氏が亡くなられました。


2002年、2003年の2年間阪神を監督として率いてくださり

2003年には優勝の喜びをファンに味あわせていただきました。


直前の2001年まで最下位続きの暗黒時代でした。それが僅か2年で優勝へと導いた手腕は見事という他ありません。

星野氏が阪神の監督に就任して以来、阪神はセ・リーグで最下位になったことがありません。時折Bクラスになるくらいで完全にAクラスの常連となりました。


今や暗黒時代を知らない「世代」のファンも多いと思いますが、暗黒時代を知るファンからすれば星野氏への感謝の想いは尽きることがありません。



そんな「星野政権時代」の阪神について今日は振り返りたいと思います。



そもそも、星野監督になってなぜ急に阪神が強くなったのか?

この問いにシンプルに答えるならば

「打てるようになったから」

でしょう。



暗黒時代の阪神はとにかく点が取れませんでした。

当然です。

打てる選手、特にホームランバッターが全くいなかったのです。ホームランを2桁打つ選手が数えるほどしかおらず、20本打つ選手も稀にしかいませんでした。

特にオマリー退団後の「第二次暗黒時代」が酷く

私の調べで言いますと

95年 グレン 23本
    クールボー 22本
96年 桧山 22本
97年 桧山 23本
    新庄 20本
98年 大豊 21本
99年 ジョンソン 20本
    大豊 23本
01年 新庄 28本


こんなところだと思います。
また、これらの打者が揃って低打率であったこともあり、なかなか好調が持続しなかったのですね。

特に外国人野手がどうやっても成功しなかったのが、あまりにも痛かったのです。



そこで風向きが変わったのが


ジョージ・アリアスの入団でした。


前年、オリックスで38本塁打。

しかし、契約更改が不調に終わりオリックス退団。すぐさまそこを狙ったのが、まさに星野氏だったのでしょう。

星野氏が獲得を熱望したというアリアスは、早速2002年シーズンに32本のホームランを放ちます。


30本。

暗黒時代では、夢のような数字でした。

阪神の選手が30本塁打をマークするのは、おそらく89年のフィルダー以来ではなかったでしょうか。


そしてその翌年、星野氏が再び動きます。

金本知憲を獲得。

その時阪神の歴史は完全に動きました。


迎えた2003年。

アリアス、金本が加わった阪神打線が大きく得点力がアップします。


加えて、生え抜きメンバーが躍動します。

今岡が覚醒しました。「天才」と評されるほどのバッティングを見せてくれました。

赤星が走りました。盗塁数は60を超え、後にも先にも阪神で見たことのない数字でした。

藤本が輝きました。最終戦でヒットを打っての打率 .300はファンの心を掴みました。

浜中は前半だけでしたが四番で打点を稼ぎまくり、桧山も後半は四番を任されて要所で活躍、八木は代打だけでなく時折スタメンでも登場しました。

そして生え抜きではありませんが、矢野が「打てる捕手」として大活躍。打線の中で捕手が打てるというのが、これまた大きかったです。


また、この年限りで引退となる広澤克己などが時に4番で登場しては活躍したりもする日替わりヒーローのお祭り状態。


こうして得点力を大幅にアップさせた打線と、エース井川を中心とした投手陣がガッチリ噛み合ってのダントツ優勝でした。




そしてもう一人。

この名前を知っている人…いらっしゃいますでしょうか。


早川健一郎。


前年にロッテを戦力外となり、阪神にテスト入団。

パンチ力のある打撃で二軍で打ちまくって一軍に昇格したのが2003年の8月下旬。


星野監督は早速、スタメンで起用します。

八木や広澤の4番起用などもそうですが、こういう思い切った起用が好きでした。


しかし早川はスタメン2戦で5タコ。

コーチからはスタメン落ちの進言もあるなか、星野監督はこう言ったとされています。


「2試合で判断したらかわいそうや。これで(2軍に)落としたりしたら、アイツの人生も終わりや」


そうして迎えたスタメン3試合目、早川にとっても劇的な一日となります。

星野監督の期待に応えて勝利に結びつく3安打、そしてホームラン。


チャンスを掴んだ早川は、この後も星野監督の起用に応えて31打席で3本のホームランを打ちます。

私の記憶では「4番・早川」があったように思います。

「おいおい、4番はやりすぎやろ~(笑)。けど、こういうのが星野監督の面白いところやなー。」なんて思った記憶があるんです。



優勝決定の日、日曜日だったように思うのですが私はテレビ中継にかじりついて見ていました。赤星がサヨナラヒットを打ったとき、思いもかけず涙が私の頬を伝いました。

野球を見ていて涙ぐむことはあっても、本当に涙が流れたのはこのときだけです。



ありがとう、星野仙一。

ご冥福をお祈りいたします。