ガーデンショップ社長の東奔西走日記

ガーデンショップ社長の東奔西走日記
昨日のお話ですが

大阪のお得意先様のご担当者が弊社までお越しになられました。


大阪府下で事務所を移転するに当たり、移転先に庭スペースがあるのでそこを整備したいというご相談を以前から承っていました。


「和」の空間をつくりたい、というご希望でしたので

色々とご提案をさせていただいておったところ


和庭には欠かせない、石を実際に見てみたいというお申し出があったのです。




さて、この石というヤツ。


昭和の時代までは、和庭のみならず石積みという伝統的な手法なども含め広く使われていました。


この時代はある意味、高級素材であったと言えるでしょう。


石が高級素材である最大の理由は



重い



これだと思います。


重いがゆえに、生産(山で石を切り出す)の段階から運搬の段階まで、とにかく大変です。

人間が一人で持てる石の大きさなんて、たかが知れたものなんです。


そういう手間が価格に跳ね返ってくるので、高額になるんですね。



しかし時代も移り変わり



和庭の需要は減り、石積みはコンクリートへと替わっていきました。


私たちが承るなかでも

「石は処分してほしい」

というお声が多く寄せられます。


石の処分というのが、これまた大変なわけですが


そんな中で処分を依頼されたものの、ほんの一部を当社でストックしています。

念のため強調いたしますが、基本的に石を弊社の置場で引き取ることはできません。
それをすると、幾らでも積上がってしまってどうしようも無くなるからです。

前述のように、需要が減った今は石を使うシーンが少なすぎてバランスが全く合わないのです。


しかし、10年ほど前まではある程度弊社の置場で受け入れていたのです。

(※石は産廃ではありませんので、もちろんこれは産廃の問題にはなりません。)


そのころ以前からの石などが、まだまだ使われることも少なく、弊社の置場に多くストックとして積上がって残っているのですね。

そして、もちろんこれらは再利用可能です。
石なので、中古も何もありません。



そういうわけで、和庭等を手がける際はこれらのストックを用いて作っています。

弊社のストックなので、材料費としては安く抑えることができます。前述のように石は重いので、現場へ持っていって現場で運ぶ手間だけでも結構かかります。特にクレーン等の重機が必要な大きさとなると大変な作業となります。

しかし人間が何とか持てる範囲の石ならば、どうにか運搬費も抑えることができる。
そういった石であれば、お見積りもかなりお安く出すことができるのですね。


そして冒頭の話に戻りますが

和庭を希望された担当者様が「石の現物を見てみたい」という話になったので

「陳列されているわけでもないが、弊社のストックなら見て頂くことができる」とお答えしてお越しいただいた次第です。




そして、その石のストックを見ていただいたとき


その方の表情がパァーッと明るくなり

「おお~っ!」

という感じのリアクションだったのですね。

その後

「この石、いいですね~!」

なんて言いながら候補の石を選んでいただいた次第です。


無造作に積み上げられ、そして雑草にも覆われたりもするような石のストックが、こんな風に喜んでみていただけたのが、私にとっては驚きでもありました。


正直、石のストックなんて処分すれば莫大な費用となりますし、なかなか使う機会のないある意味不良在庫と言ってもいいような位置付けのものでした。


しかし、この石のストックも自社の一つのツールになり得ると考えると

これはこれで、一つの切り口になり得るのでは…と思い巡らせるところでございます。


弊社の特長の一つとしての、「石」


ちょっと取り組んでみましょう…!









いや本当に石って、いいものなんですよね。







新しい年が始まり

心新たにして、今年もまた新たなルーティーンを始めた植田です。

今年は


・トマトジュースを飲む
・スクワット3分


この二つを始めまして

連続10日くらい続いているところです(^^)/


もちろん

「健康」

が目的です。


そして、あわよくばダイエットも…ですね^^;


効果はともかく、まずは習慣化するところまで持っていきます。



昨年の年始から始めたルーティーンであるジャーナリング(+読書)も続いていますし、その少し前に始めた腕立て伏せも回数を増やしながら(現在25回)継続できていますよ(^^)v



これら既に習慣化されているものは、もはや歯磨きや入浴レベルにまで身にしみこんでいるので

決して努力だとか、頑張っているとかではないのですね。



そしてこの月曜日のブログも。


しかし実はこの週間ルーティーンというヤツは、結構習慣化するのに手こずっているところもあります。


月曜日にブログ、というのは分かりやすいのですが

例えば木曜日のテーマ「人脈づくり」となると、タスクがぼんやりして習慣化にまで至らなかったり。


思うにこの場合、もっとタスクをシンプルにして脳で考えることを減らさないといけないのでしょうね。


そこらへん、やりながらテーマを変更してもオッケーとして


今年は週次ルーティーンを定着させていきたいと思います。




1月6日。

今日から会社業務もスタートです。


年初仕事始めの日は、いつもとは少し違う空気感でスタートします。

例年、9時30分よりスタッフ全員参加での年頭訓示を行います。


経営指針書の改訂版を配布し、それにそって喋ること喋ること…実に2時間30分(休憩5分は挟みますが)。


経営理念から始まって、外部環境分析、経営方針、単年度の方針、などなど…

そもそも経営指針書自体が74ページで構成されているものですから、2時間半でも実は全く時間が足りないのですけどね^^;


私、この経営指針書があれば丸一日話し続けることができるでしょう。

現在の形式の経営指針書を初めて作ったのが9年前なのですが、その時のものを見返してみると48ページでした。


その前身となる経営方針書を初めて作ったのが15年前ですが、その時は18ページ。


まさにこれこそ、私の15年の継続とブラッシュアップで作り上げてきたものなんですね。


この一言一句全てを私が書き上げてきているので、全てに魂が込められています。
なので語れるんです。


そういうわけで2時間半、今日も喋り通しました。

これだけ喋り倒すのも一年にこの日だけですので、スタッフもご容赦ください^^;


そして昼を挟んで午後は得意先様への挨拶回り。
これも年始ならではの風景です。



と、言っても限られた時間なもので、私自身も限られたところにしかお邪魔できません。


担当スタッフのみで回ってもらったところもありますが、それにしても回り切れずで

ご挨拶に行けなかった多くの皆様、大変申し訳ございません…。。


何せ、得意先の数は年々増えておりますので、全て回るのは不可能です。

それと大阪府下の得意先が増えて、痛切に感じたのは


大阪がメチャクチャ広い、っていう事なんです。


奈良県ですと


得意先の多くが橿原市付近と奈良市に集中しているため


弊社から橿原市近辺を回り、田原本や天理を経て奈良市へと回っていけば結構短時間で効率的に訪問可能で、移動距離・移動時間も結構少なくコンパクトに回ることができます。


しかし大阪はそうは行きません。


一件行って30分移動、次の一件に行くのにまた30分移動…なんて事になっていくんですね。



これは余りにも効率が悪いため…

申し訳ございません、年始挨拶の大阪はあまり行く事ができないのです^^;

(そう言いながらなんですが、逆に大阪の職人さんがわざわざ弊社まで挨拶にお越しいただきましたね。遠くからわざわざありがとうございます。昼のインターバルにちょうどお会いできてよかった(^^)/)


そんな感じで挨拶回りを終えて、夕方に帰社して年始の一日が終わります。


そんな年始の仕事始め。

今年も例年どおりスタートしました。



そして明日からは現場も動くので職人さんたちも出てきて、あっという間に日常に戻ります。



皆様、今年もよろしくお願いいたします。

皆様

あけましておめでとうございます。
会社の仕事始めは6日ですが、私は今日からゴソゴソと仕事始めです。


大手企業や役所関係は通常4日、また多くの会社は5日から仕事始めなんですが、今年は明日が土曜日ということで

ほとんどの会社等の仕事始めが6日ですね。

弊社は毎年6日と定めていますので、例年ですと5日の日などは結構世の中が動き出している時に休んでいたりして、ちょっとだけ嬉しかったりするのですが^^;

今年はみんな一緒です。


長い年末年始休暇、そして天気もいいせいか

初詣スポットを中心に例年以上に道が混んでいますね…。



2025年はへび年、さらに言うと乙巳(いっし・きのとみ)の年です。


あの645年、昔は大化の改新と習ったあの事件は今は乙巳の変(いっしのへん)と教科書に記載されています。


そう、645年は乙巳の年でした、


それから1380年、また乙巳の年が巡ってきました。


弊社にとっても大きな改新をスタートする年としていきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。





2024年の業務が終了しました。



今年の漢字は「金」でしたか。

オリンピックの年は「金」になる事が多いんですよね。

2021年の東京オリンピックの年も「金」、2016年のリオオリンピックの年も「金」、2012年のロンドンオリンピックの年も「金」でした。



私にとっては「周」、になりますかね。


2024年は会社設立40周年でした。

6月には40周年記念式典を行うことができました。


日頃お付き合いをいただいている多くの皆様とともにお祝いの時間を共有することができ、素晴らしい日になりました。


10年前に30周年を迎えたときに、実は今年以上に色んな周年行事を行い、また記念式典も今回より大層に(?)行いました。


40、というのは30より節目としては小さいかなというイメージでしたので、式典も少し縮小して計画しました。


また30周年の時の経験(?)もあるもんで、私としても緊張感もさほどなく終えることができました。


ちなみに2014年の私の漢字も「周」になってましたね(^^)



そんな2024年


新しいお得意先様と多くの新たなご縁をいただき、目標、そして通過点としていた数値目標をクリアしました。


営業訪問をルーティーン化し、既存先を含め多くの成果を得ました。


新たなKPI管理する仕組みが構築できました。


新たなスタッフ、社員職人の入社もあり新たな陣容となりました。


新たな業務委託に取り組み、多くの成果を得ました。


自社主催のセミナーをコロナ以降4年ぶりに開催できました。


店内のスペースで野菜づくりを始め、サツマイモを植えてたくさん収穫できました。




さて、こう書いているうちにスタッフも職人さんも帰ってくれましたので


私もいったん仕事納めといたしましょう。


それではよいお年をお迎えください(^^)/



前回ブログで学生時代の事を書きましたが

先日、まさにその学生時代の教え子との再会がありました(^^)/

学生時代、私は稲田塾という進学塾(今は経営譲渡され違う塾になっています)でアルバイト講師をしておりまして


そのころの教え子です。

会ったときに数えましたが…、約32年ぶりです。


とある住宅会社さんを通じてのお施主様として弊社に来てくれました。


やはり彼からすれば「先生」という事になるわけで、「先生に教えてもらって…」などと言われると改めて先生やってたんだ…と懐かしく感じたりで


打ち合わせ等もあったのですが、弊社の営業担当にある程度任せつつ…思い出話にすっかり花が咲いた次第です(^^)。


この仕事をしていて


教え子とお客様として再開する事も数回あって、また本当に偶然に会うこともあったり

また時折ですがこのブログを読んでメールをくれたり、また訪ねてきてくれたりすることもありました。


私も学生で、まだまだ世間知らずの子供だったことを思えばこっぱずかしいところもあるのですけど

当時の想いみたいなものが、ちょっとでも伝わっていて教え子のみんなが少しでも覚えていてくれていたなら本当に嬉しいです。


私は稲田塾で6年間、先生やりました(なぜ6年なのか、という話はひとまず置いといて

6年間で教えた子どもたちの数は、色々入れたらおよそ1000人弱くらいかと思います。


実は私の学生時代の仲間や先輩たちは、そのまま塾講師として就職して後に独立した人も何人かいます。

彼らにしてみたら通算の教え子は1000人どころか何千人、ひょっとしたら1万人超のレベルなんでしょうが、私にとってのこの1000人弱のまま止まっていますので

ひとりひとりの思い出が、今なおより強く残っているんですよね。


先日来てくれた教え子の妹さんも私の教え子なんで、ハッキリ覚えていて

「覚えてはるんですか~!?」なんていうくだりもあったところです。



そういうわけで


一人一人をしっかり覚えていますので

色んな教え子とまた会いたいな~って思ってます(^^)/



一部、忘れていたら申し訳ないですが、必死に覚えているフリをしますので(笑)。






























さて、先週の痛風も無事に完治(?)いたしまして

喉元過ぎて、熱さも忘れているところでございます(笑)。


忘年会等もひと段落してきたので、ここからは肝臓を休めて尿酸値も下がってほしいと願っています。


それにしてもあっという間の年末です。

私としては、今年の元旦から始めたルーティーンの「ジャーナリング」、これは完全に習慣化に成功しました(^^)/


朝、起きてコーヒーと薬を飲んだあとがジャーナリングの時間です。

まずは本を数ページだけ読んで、そこからの学びを2行ほどメモします。

そして前日を振り返り、成果を確かめます。
また目標をしっかりと認識して文字化したりします。
そして締めに感謝の言葉を書きます。


これで20分程度。


これを一年間続けてきました。

何かその成果があったか、というところまで至っておりませんが、これは続けていきたいと思います。


なぜなら、私は大学生のころにジャーナリングの成功体験があったんです。


アルバイトですが、塾講師をしていました。

アルバイトの先輩たちが熱い思いで生徒たちに向き合い、受験というものに向かっていく姿に憧れました。


しかし、高校を出たばかりのガキに簡単にできる事ではありませんでした。

いくら自分に学力があっても役に立たないんです。30人から40人のクラスで授業をしてクラス全体のレベルを上げていく、というのは色んな技術や準備が必要なんです。

何より、想いがないとダメだったんです。

子供たちに伝えるのが仕事だから、表面をなでるような授業じゃ伝わらないんですね。



しかしすぐにそんな事ができる訳もなく

もがきながら一年くらい経って


このままじゃ、先輩たちのようになれない。

どうすればいいんだ…と自問自答する日々。



自問自答を繰り返す中で、いつしか私はノートに想いを書きなぐっていたのです。

こうしていこう、次はあれをやろう、今の課題はこういうところだ、またこんな事があってよかった、などなど。


頭の中で湧き出てくるものを文字化して書いていると、さらにモチベーションが上がって考えも整理されてきたように思います。


どれくらい続けていたのか…今となっては分からないのですが


結果、私は思い描いていたとおりの塾の先生になれました。



この歳になって日誌、ジャーナリングというものが推奨されているのを見かけたときに

ああ、あの頃にやっていた、あれじゃないか…と思い出したのです。


そういうわけで


ジャーナリング


来年も続けていきます…!









































来たる新しい年には、また何か新しいルーティーンを取り入れたいと色々と考えているところです。











昨日、寝ているときから足の指がおかしい、何か痛いな…と感じていたんです(寝ているというより、そんな意識があったくらいなんでほぼ起きていたんですけど)。


起きると、足の親指の付け根が痛い。

何、これ…?


いや、待てよ…


確かこれって…



痛風…!?



ネットで調べてみると、それしか考えられないドンピシャの症状でした(-_-;)



風が吹いても痛い、ゆえに痛風などと言われる

というくらい激痛なのだそうですが、幸いな事に私の場合そこまでの激痛ではありません。


ツンツンする痛みが走るため、右足親指側に体重をかけて歩けないのですが小指側なら何とか引きずりながら歩くことができました。


ネット、そしてYouTubeなどでも色々調べていると

この動画

https://www.youtube.com/watch?v=kkXgr5jb5xM


かまいたちの濱家という人が痛風体験について語っているのですが、これが何と800万再生以上…!!


痛風の人ってそれだけ多いのか、それとも痛風じゃない人も見ているんでしょうかね?(笑)


というか、私はこれで濱家という芸人さんを初めて知ったのですけどね(笑)。



ともあれ、濱家氏の話でもかなりの激痛だと語られていまして

色々調べていたら、激痛でまともに動けないとか、足がパンパンに腫れるとか壮絶な話が出てくるのです。


しかし私の場合は激痛というほどでもなく、痛いことは痛いんですけど


軽症の痛風ってあるんでしょうか…?



しかし、一つ私が立てた仮説がありまして


朝が特に足が痛かったのですが、日中は少し和らいできたのです。

しかし、その次の日、つまり今朝のことなのですが


また痛い。

さすがに一日で治るものでもなかったか…というところでしたが

今日の日中、またもや痛みが和らぎました。


ここで一つの仮説


痛風とは、寝ている時に痛みが悪化するものである。



寝ている時は水分の補給ができないのが影響するのでしょうか…?



ともあれ


痛風と他人に言うと、激痛なのに半笑いされてしまうという悲しいやつなのですが

私の場合、自分も笑ってネタにできています(笑)



まあ、このままマシになっていってくれたらいいのですが…。






scroll-to-top