鳥谷敬と2000本安打

鳥谷が2000本安打を達成した。


(本日のブログはいつもと違う文体で、私の一人称もいつもと違います。ご了承くださいませ。)



こんなに素晴らしい事はない。

俺も阪神ファン歴が35年に達するようになったが、その間に在籍した選手の中で紛れもなく最もヒットを打ってくれた選手だ。



日本での2000本安打は鳥谷が50人目の達成者だという。

日米通算とすると、そこにイチロー、松井秀喜、井口資仁、福留孝介、青木宣親が加えられて55人。


過去に阪神で達成した選手は

山内一弘、藤田平、金本知憲、福留孝介の4人だが

阪神生え抜きは藤田平ただ一人であった。


さらに阪神に「在籍したことがある」選手を加えると、新井貴浩の名前があがる。



山内一弘という選手はリアルタイムでは俺は知らない。打撃コーチとして名を馳せたイメージがあるだけである。「世紀の大トレード」といわれたトレードで大毎(今のロッテの前身球団)から小山正明との交換トレードで阪神にやってきた、という話は有名。調べてみるとその後の阪神在籍は4年だけであり、次いで広島に移籍している。大毎時代の打撃成績の方がずっとよく、「阪神の」山内というイメージは少ないようだ。


金本知憲現監督については詳しく語る必要はないと思うが、前述の山内氏と異なり広島時代より阪神在籍時の実績の方が上回るため紛れもなく「阪神の」金本である。連続フルイニング出場はダントツの世界記録。生え抜きではないが、ファンのハートも鷲掴みにして監督にまでなっているので、言わば準・生え抜きといったイメージである。


福留孝介はやはり中日のイメージが強い。大リーグでも活躍はあったが、期間も短くメジャーのイメージは薄い。日本球界復帰に際して阪神入りしたが、入団時に巨人との争奪戦となったときに交渉が長引いてしかもそれが金銭的な部分、と報じられた経緯がある。そして復帰した年に打率1割台の大不振。その後復活して去年や今年は4番を打つにまて至ったが「阪神の」福留と呼ぶには少し足りないというのがファン心理であろう。


そして唯一の生え抜き達成者の藤田平について。

高卒で入団して早々にショートのレギュラーを獲った守備も上手い好選手であったとのことだが、俺が阪神ファンになったときはファーストを守っていた。1983年に2000本安打を達成したことも確かに記憶がある。しかし既に晩年となっており、あのランディ・バースの入団とともに出番は減り優勝の前年1984年で引退している。

その後、解説者であった時代もあったが、どうも現役時代から無口な職人気質であったようで解説もイマイチ盛り上がらない印象があった。

しかし、そうは言っても生え抜き唯一の2000本安打達成者である。1995年に二軍監督として現場復帰し、その年一軍の中村監督の休養後は代理監督として一軍を指揮した。翌1996年に正式に監督就任したものの不振でシーズン終了を待たずに解任通告、しかもその通告の場でゴネた、という結末であった。当時人気者であった新庄と確執があったという報道も藤田平にとってはマイナスイメージとなったと思う。

1987年から2001年まで続く阪神の「暗黒時代」にあって、「暗黒度」ナンバーワンはこの95年、96年の頃であったろう。


結果、藤田平は生え抜き唯一の2000本安打達成者で紛れもない「阪神の」藤田であるにもかかわらず、阪神ファン間での知名度や人気は高いとは言えない。


こういった歴史の中での


鳥谷敬、である。


鳥谷はホームランバッターではないが、首位打者を獲るほどのアベレージがあったわけではない。一方で四球が多く出塁率が高い。なので首位打者は獲ったことがないが「最高出塁率」というタイトルを2011年に獲っていたりもする。


要は、ちょっと地味なプレースタイルなのだ。

よってもちろん、ホームランバッターであった田淵や掛布、そして岡田らが放った耀きは鳥谷以上のものがあったであろう。しかし彼らはケガや選手生命の短さなどもあって2000本安打にはいたらなかった。

赤星や今岡なども強烈な印象を残しているが耀きは短かった。

和田が息の長い活躍をして2000本安打も狙えたと思うが、晩年野村監督の時代にレギュラーを失い1739本で終わっている。


こういった藤田以外の歴代のバッターが誰もがなしえなかった、それが2000本安打である。



その2000本安打を達成した鳥谷は紛れもなく阪神史上、屈指のプレイヤーとなった。

藤田平には悪いが、現時点で阪神ファンの中では鳥谷の方が存在感は上回っているだろうし、来年にも藤田平の安打数も超えることになるだろう。



しかも、昨年のまさかの不振からの復活。チーム事情があったにせよ、ショートのポジションを失ったがサードで取り返した。そしてあの顔面デッドボールの翌日、フェイスガードをつけての出場はファンのハートを完全に掴み直した。


俺にとって鳥谷という選手は特別な選手だ。


その想いは過去にブログでつづったことがある。


阪神ドラフト列伝と鳥谷敬 (鳥谷入団の時を振り返ったブログ)


ありがとう、鳥谷敬  (鳥谷が海外FA取得時に残留したときのブログ)


振り返ればドラフト時点での強烈な想いがあったからこそ、鳥谷は俺にとって特別な選手で居続けた。


その鳥谷が


とうとう2000本安打に達した。

冒頭に書いたように、こんなに嬉しいことはない。

連続試合出場は鉄人と呼ばれた金本現監督の記録をも越えて歴代2位となっており、いよいよ衣笠を越える日も現実に近づいてきている。

まさに阪神のみならずプロ野球界に誇るスーパースターである。


阪神一筋の生え抜きで、鳥谷ほどのスターが登場するのはいつの日になるのか想像もできない。

鳥谷以降に入団した選手で鳥谷を追う選手は、ついぞ現れることがなかった、


昨年の高山が期待させてくれたのだが、今年ダメだった。鳥谷を追うには来年の復活が絶対的な条件となろう。

後は今年の大山か、そしてこれまた久々の和製大砲・中谷か。

いずれにせよ、来年以降レギュラーを張り続けてかつ試合に出場し続けなければ2000本安打など視野にも入らない。そしてそれは、とんでもなく難しいことである。


おめでとう、鳥谷敬。


そしてありがとう、鳥谷敬。



いつまでも「阪神の」鳥谷であってくれることを強く願っている。