ガーデンショップ社長の東奔西走日記

ガーデンショップ社長の東奔西走日記

 

さすがのヘソ曲がりの私でも、今日は書かないわけにはいかないだろう。

 

 

(いつもとは異なる文体で書きますがご了承願います。それと、先に言っておきますが長いです。)

 

 

クライマックスで阪神が巨人を相手に、しかも東京ドームでまさかの4連勝で日本シリーズ出場を決めたのだ。

 

これはセ・リーグの優勝ではなくあくまで日本シリーズ出場権を獲得しただけであって、トーナメントで言えば準決勝で勝ったようなものと位置付けることもできよう。

 

 

よって胴上げやビールかけなどが行われた訳ではなかった。

 

 

 

しかし

 

 

優勝から遠ざかっていた事はもちろん

 

昨年、3位だった広島にあっけなく敗れたクライマックスに象徴されるように

 

クライマックスで全く勝てなかったのが阪神だったのだ。

 

 

 

毎年のように(CSに出場すらできない年もあったが)繰り返される敗戦シーンに

 

今年もどうせ…と口にはしないが期待薄ムードがそもそもクライマックスにはあったのだ。

 

 

 

ところが広島が2位のかかった最終戦で、優勝が決まって消化試合となった巨人を相手に

 

しかも前日雨で試合が順延となった試合を、マエケンで落としてしまって流れが明らかに変わった。

 

 

 

そして巨人は今年エースに成長した菅野を欠いた。

 

 

流れは全て阪神に向かっていた。

 

 

 

 

そして昨夜、阪神は勝った。

 

 

 

 

苦汁をなめ続けたファンにとっては優勝に等しい気持ちであり

 

相手が巨人であっただけにそう感じるのかも知れないが

 

まさに歴史的な日となったのだ。

 

 

 

 

今日は敢えて選手の事は語らない。

 

 

 

 

和田豊。

 

 

 

昨夜、遂にこの名前が歴史の表舞台に刻まれることとなった。

 

 

 

一般に、和田豊についてまわるイメージは

 

 

「地味」

 

 

なのだとろうと思う。

 

 

 

 

確かにその通りだろう。

 

 

小柄で、現役時代もホームランはなく右打ちを得意としたバッターだった。

 

そして性格的にも前に出るタイプではない。

 

 

 

しかし

 

 

 

我々のように古くからのファンにとっては和田豊はビッグネームなのだ。

 

 

和田は1985年がルーキーイヤーである。
バース、掛布、岡田を擁する阪神が日本一にまでなった年だ。

 

 

新人・和田は一軍で先輩たちの躍動を見て、優勝の喜びを知ったところからプロ野球生活が始まった。

 

和田が4年目、暗黒時代となった1988年に村山新監督の若手起用方針で2番・ショートのレギュラーに抜擢されたのが和田だった。

 

ショートには名手・平田がいたが、和田は平田以上のバッティングと走力でレギュラー定着を果たす。

 

そして以降、1番バッターとなって打率3割を何度も記録し首位打者争いに加わることもあった。

 

 

しかし、和田の奮闘むなしくチームは暗黒時代をさまよい続けた。

 

 

1番和田が塁に出ても、返すクリーンアップが全くいなかったのだ。

 

 

岡田や真弓は次第に衰え

 

外国人もことごとくダメだった。

 

 

一時オマリーが活躍して92年にはパチョレックも加わって優勝を争うシーズンとなったのだが

 

結局は2位で終わり、オマリーが去った後は更に深い暗黒の時代に戻ってしまった。

 

 

 

しまいには4番・平塚。

 

今はスカウトとして頑張っておられる平塚氏には申し訳ないし、ホームラン17本も打った年もあったのだが

 

このオーダーはまさに暗黒時代の象徴だった。

 

 

 

そんな中で、和田だけが安定してヒットを打ち続けた。

 

ショートに久慈が入ってポジションはセカンドに転向し、球団初の1億円プレイヤーになったのも和田だった。

 

 

オールスターと言えば、阪神から和田と投手一人だけなどというパターンも多く

 

決して派手な活躍はしないのだが、当時の阪神が唯一レギュラーとして誇れる選手であったのだ。

 

 

 

その和田も年齢とともに衰えもあったのだろうが

 

野村監督になった時にとうとうレギュラーを剥奪された格好になった。

 

 

 

 

そして2001年に引退。

 

 

引退試合に出場した和田が流し打った打球を巨人のセカンド・仁志が敢えて追わずライト前ヒットになった。

 

仁志は今でいうドヤ顔が嫌いだったが、この時のイキな計らいには感謝したい。

 

 

通算安打は1739本。

 

野村監督でなければ2000本だって狙えたかも知れなかったが、それでも阪神で藤田平、吉田義男に次ぐ歴代3位の記録である。

 

安打数だけならば掛布や岡田以上の数字を積み重ねてきた、紛れもない功労者であった。

 

 

 

 

そして引退のスピーチ。

 

 

リアルでは覚えていなかったのだが、後になってyou tubeで見たときは不覚にも私は涙ぐんでしまった。

 

以下、引退スピーチの全文である。

 

 

***

 

 

 

 昭和六十年、入団1年目で先輩たちに優勝の喜びを教えていただきました。自分が現役のうちにもう一度優勝したい、ファンのみなさんに思いっきり喜んでもらいたい、ここ数年、その思いだけで野球をしてきました。「失意泰然」、この言葉をモットーに、自分に言い聞かせながら野球に取り組んできました。志なかばで背番号六を球団にお返しするのは誠に残念ですが、私の夢を後輩たちに託したいと思います。そして、これから強くなっていくタイガースで、これからも後輩たちと共に頑張って行きたいと思います。球団関係者のみなさん、そして一緒に戦ってきた監督、コーチ、選手のみなさん、日本一の球場で常に良いコンディションで試合をさせててくれた阪神園芸のみなさん、そしていつも陰で支えてくれた裏方のみなさん、マスコミ関係のみなさん、そして日本一、いや世界一の温かい応援をいただいて、私自身百二十%の力をださせていただいた阪神タイガースファンのみなさん、本当にありがとうございました。十七年間、阪神タイガース一筋、現役生活を全うできたことを誇りに思います。十七年間本当にありがとうございました。

 

 

 

***

 

 

 

現役も晩年となると出番がなくなってくるのはもちろんだが、現役続行を希望して引退試合が行われないケースも少なくない。

 

 

阪神でも岡田はオリックスへ移籍、真弓も他球団への移籍を希望して獲得球団がなかったため引退となったので、引退試合がなかった。

 

 

そんな中で、恐らくは掛布以来の「キレイな」引退試合だったのではなかったかと思う。

 

 

 

 

 

そしてスピーチ内に「これから強くなっていくタイガースで、これからも後輩たちと共に頑張って行きたいと思います。」とあるように、和田は引退後すぐにコーチとなった。

 

その実直な性格、緻密な考えが球団内でも高く評価されたのだろう。

 

 

星野仙一監督のもと、島野育夫、田淵幸一、佐藤義則、達川光男、西本聖など「星野人脈」のコーチが続々と入ってくるなか、和田には球団側の後押しがあったのであろうと推測する。

 

 

特に打撃コーチを務めたのだが、他の打撃コーチが就任・退任をする中で何度も打撃コーチを務め

 

また内野守備走塁コーチなども歴任し

 

一度もユニフォームを脱ぐことなく阪神一筋でキャリアを積み上げてきたのである。

 

 

 

 

そしてコーチ時代に和田はインターネット上のブログを書いていた。

 

 

「虎の意地」

 

 

というタイトルのブログは、決して当たり障りのない内容ではなく興味深い内容で

 

また更新もキチンとされており、まさに和田豊の真面目で実直、そして鋭い分析力などの人間性の表れたものであったと思う。

 

 

暗黒時代から阪神ファンを続けてきた者にとっては、この時点で和田豊というのは他に較べようもないビッグネームになっていたのであ
 

 

 

 

る。

 

そして2011年、真弓前監督が退任となった際

 

 

 

阪神球団は和田豊に監督にした。

 

 

 

私も、全く同じ考えであり和田監督の誕生を歓迎し、そして喝采した。

 

 

しかし、一般的な世間の感想は

 

 

「なんか、地味」

 

 

ラジオのパーソナリティが放送でこう言ったとき、私は本当に頭にきた。

 

 

 

にわかファンが適当な事を言うな、と。

 

 

 

阪神は和田がコーチになって2年目の2003年に星野監督のもと優勝した。

 

そしてその時、阪神ファンは急増した。

 

 

 

阪神が強くなってからのファンは暗黒時代の事を知らない。

 

この場だけ許していただきたいが、私に言わせれば「にわかファン」である。

 

 

 

弱くてどうしようもない時に、そっぽを向いていた人たちだ。

 

その弱くてどうしようもない時に、阪神を支え続けた第一人者が和田豊だったのだ。

 

新しいファンが和田の事を詳しく知らないのは仕方ない事だが、私たちコアなファンにとっては和田豊はビッグネームなのであり、軽々しく批判をして欲しくないのである。

 

 

 

 

監督となった和田は、歴代の阪神の監督がそうであったように批判の矢面にさらされる立場となる。

 

今年の9月に6連敗を喫して優勝どころか3位の危機になった際には、とうとう去就問題となった。

 

「和田、やめろ」の声が日増しに大きくなっていった。

 

 

 

しかし、前述のとおりの流れで広島が倒れてくれる形で阪神は2位を確保し

 

和田監督の留任が発表された。

 

 

 

 

そして、臨んだクライマックス・シリーズ。

 

 

 

結果、和田豊は阪神の栄光の歴史にその名を刻むこととなったのである。

 

これで、和田豊という名前が私たちコアなファンのみならず皆が認める名前になっていくだろう。

 

 

 

これからの阪神には金本、矢野、桧山という次世代の監督候補が揃っており、和田が監督を勤める期間はそう長くないのかも知れない。

 

 

 

 

しかし

 

 

和田豊という名前は

 

 

いつまでも我々の心の中で輝き続けるのである。

 

 

 

 

 

 

弊社ではOB施主様にニュースレターを毎月お届けしています。

 

現在、30周年のアニバーサリー期間ということで昔の話を回顧する連載記事を私が書いています。

 

 

 

今月号には2006年の事を回顧して連載記事の原稿を書きました。

 

 

 

実は当ブログの過去記事を読んでいただくと大抵のことはネタバレでして

 

私も過去を思い起こすのにチョイチョイ過去記事を読み直したりしています。

 

 

 

それにしても2006年は大きな一歩を踏み出したんだなあ、と改めて思い起こしました。

 

 

 

株式会社リーフユニティへ商号変更

 

ニュースレターの発刊

 

お客様感謝祭のスタート

 

ホームページ開設

 

 

 

 

踏み出した当初は小さな一歩だったのかも知れません。

 

 

実際、ニュースレターを出すと言っても

 

それまでOB施主様の名簿をしっかり残しておらなかったので、出せる数が限られた数でしかありませんでした。

 

 

 

よってお客様感謝祭の来場数も少なく、僅か11組の来場でした。

 

感謝祭の内容も、さほどのものではありませんでした。

 

 

 

ホームページも想いを込めて作ったつもりではありましたが、載せられる施工事例はまだまだ少ない状況でした。

 

アクセス対策もイチからのスタートで、当初は全く手ごたえを掴めませんでした。

 

 

 

それが今となっては

 

 

OB施主様の数は10倍以上

 

感謝祭の内容も年々グレードアップして来場は145組にまで至り

 

ホームページも内容を充実させ続け、多くのお客様とのご縁に繋がりました。

 

 

いずれも今の弊社を語るのに、なくてはならないものばかりです。

 

 

 

2006年は一つのターニングポイントになった年だと言えます。

 

 

 

我ながら様々なチャレンジをしていたものがと感じます。

 

もちろん、ビジネスはこういったマーケティングだけで語れるものではなく

 

他にもっと大事な事もあって様々なことに取り組んできました。

 

 

 

 

そして当時とは比べ物にならない位、私のプレイヤーとしての役割が大きくなっています。

 

 

 

しかし

 

 

改めて、更なる前進のために

 

 

2006年の頃に戻って頑張らないといけないと思いました。

 

 

 

 

思い新たに

 

 

頑張ります!
 

 

 

 

 

 

何せ初めての事なんでよく分かりませんね(笑)。

 

 

 

あ、クライマックスシリーズの事なんですけど…

 

過去、全く盛り上がらなかったクライマックスで突然盛り上がったもんで

 

どうも勝手がよく分かりません(笑)。

 

 

 

よく分からないんで

 

敢えてドラフトの話にしときましょう。

 

 

 

 

今年のドラフト戦線は…

 

今一つ盛り上がりに欠けている感があるところです。

 

 

 

しかし実は、一年前の段階で今秋ドラフトは「豊作」なんて声も上がっていたのです。

 

大学生で言えば4年生になる選手たち

 

 

早大 有原

 

明大 山崎

 

亜大 山崎

 

法大 石田

 

中央大 島袋

 

早大 中村(一人だけ野手)

 

 

高校時代から注目もあった彼らが3年までのそれぞれの段階で実績を積み上げてきて、さあドラフト1位候補だと目されていたのです。

 

 

しかし

 

4年になって春、そして今秋と

 

故障や、不調などで期待されたパフォーマンスに至っていないのですね。

 

 

 

 

スカウトからは豊作どころか「指名選手がそろわない」といった声も聞かれるところです。

 

 

 

 

今もダントツ評価とされる有原は秋のリーグ戦でリリーフ登板が1試合のみ。ヒジの違和感があるとのこと。

 

4年での故障は、阪神で言うなら白仁田のイメージがあってどうも気になります。それでも各球団が競合覚悟の1位指名の構えで、どうも5球団以上競合するとの噂です。

 

 

明治の山崎は不調、法政の石田は絶不調で評価を落としています。

 

中央大の島袋に至っては制球難で登板も限られている状況。

 

早稲田の中村も春、秋と不調でドラフト1位候補から後退しました。

 

 

 

この中では、亜大の山崎が盛り返して頑張っているくらいですね。

 

 

 

そして高校生は目玉だったのが済美・安楽です。

 

 

しかし、こちらもヒジ痛で昨年秋からパフォーマンスが上がっていません。3年時は甲子園出場もなく球速も戻りきらなかったようです。

 

 

2年時に確かに157キロを出していますが、高校生相手でも捉えられていた感もあって

 

もちろん1位クラスだと思うのですが藤浪や大谷、また松井裕らのレベルではないように思うところです。

 

 

それでも競合確実とのことで、阪神も有原か安楽かという情勢が続いてきました。

 

 

 

 

同じく高校生では2年時に夏の甲子園優勝投手となった前橋育英・高橋も高評価ですが、こちらも3年時は甲子園出場なし。ただ、ここに来て阪神の1位指名という情報もあるようですね。

 

 

 

それと、盛岡大付属の松本も元来の素材の評価が高いようです。

 

しかし、夏の甲子園ではこちらも故障の影響ありありのピッチングでした。

 

 

 

 

そんなこんなで

 

 

ドラフトの目玉、なんていうバリバリの選手が不在なわけなんです。

 

昨年は大瀬良が一番人気で、阪神もハズれたのですが広島に入って早速10勝しました。今日のクライマックスでも圧巻のピッチングだったようです。

 

 

故障明けとなるであろう、有原や安楽が果たしてどこまで復活するのか…?

 

 

 

 

 

去年ならば

 

 

 

1位は大阪桐蔭・森で行くべきだが、大瀬良ならアリだというのが私の意見でした。

 

 

 

今年は

 

 

難しいですね

 

有原にしても安楽にしても獲れたら嬉しいですが、藤浪や大瀬良のような期待はし辛いところなんです。

 

 

強いて希望を言えば…

 

 

智弁の岡本…でしょうか!?

 

高校通算73本塁打、間違いなく高校ナンバーワンのホームランバッターです。

 

ファースト中心の選手で守備面の評価が難しいのが迷いどころにはなるのですが、ホームランバッターは滅多に獲れないですから、少ないチャンスは狙うべきという意見です。

 

 

で、2位以下で大学、社会人の投手を獲るという戦略です。

 

地方大学や社会人、また独立リーグも含めて知名度が低くてもプロで活躍する投手は結構いるもんです。

 

 

昨年のドラフトを振り返っても

 

 

中日の2位又吉は独立リーグ出身、5位祖父江は社会人とトヨタ出身ですが、今年一軍で十分戦力になりました。

 

DeNAの抑えまで務めた三上はドラフト4位、社会人のJX-ENEOS出身です。

 

楽天5位の西宮は横浜商科大で阪神の岩貞の同期生です。今年46試合に登板しています。

 

ソフトバンク2位の森は58試合登板。三菱自動車倉敷です。

 

そして、我らが阪神・岩崎は国士舘大学出身のドラフト6位。素晴らしい指名でした。

 

 

 

こういった投手を指名するのがドラフトの大きなポイントです。まさに、ここがスカウトの腕の見せ所です。そして今年の阪神投手陣で最後まで定まらなかったビハインドの場面で投げる投手です。

 

 

ハッキリ言って「将来性がある」とか「素材は一級品」などという評価は全く当たりません。

 

 

 

1位 岡本、2位~6位で即戦力投手4人くらい、それと高校生の野手でショート・セカンド型が一人欲しいくらいでしょうか。

 

 

 

 

 

ドラフト会議は10月23日。

 

 

 

 

 

日本シリーズの直前となりますが

 

もし阪神が日本シリーズに進出したらドラフトの話題は吹っ飛びそうですがね

 

 

 

 

 

 

先日

 

 

リーフユニティのホームページをプチ・リニューアルいたしました!

 

 

 

ご注目いただきたいのは

 

 

30周年特設サイトです!

 

 

 

 

30周年のアニバーサリー期間も、ここからが後半戦となります。

 

 

これまで、記念式典に家族慰安会、そしてお客様感謝祭30周年バージョンといった行事を行ってきたのですが

 

後半戦はマーケティングの一環としてPRして行こう、という訳です。

 

 

 

 

中身はこれから作っていくところもあるのですが…

 

まずは、型を作ることが大事なんです!

 

 

 

他にも、30周年の行事として

 

記念植樹や、展示場のリニューアルも計画しています。

 

 

 

さあ、後半戦のスタートです…!

 

 

 

 

 

 

9月になって

 

植栽工事に出ることが増えている植田です。

 

 

 

私に植栽をお任せいただくと

 

植物のチョイスはもちろん、現場においてレイアウトを決めるのは私です。

 

 

 

現場に立ち

 

 

現場を眺め

 

 

キャンパスに絵を描くかのごとく

 

 

描いていくのです。

 

 

 

このところの植栽工事をご紹介しましょう…

 

 

 

BlogPaint

 

 

BlogPaint

 

 

BlogPaint

 

 

BlogPaint

 

 

(最後のは暗くて植栽がよくわかりませんね

 

 

今日も植栽に行ってきて写真はまだ撮れてないのですが

 

後で担当者がお客様に頂戴したお言葉が

 

 

 

「自分の家なのに、自分の家じゃないみたいです!」

 

 

 

だったそうです。

 

 

 

ありがたいお言葉、ありがとうございます。

 

 

 

この分野こそ、私が個人的にプレイヤーとして極めていきたい分野なのです。

 

 

 

改めて

 

 

植栽の「匠」として頑張ってまいります…!

 

 

 

 

 

 

今年、弊社は30周年を迎えた訳なんですが

 

 

実はそれとは別に

 

 

間もなく私の社長就任10周年を迎えようとしています…。

 

 

厳密には勤めていた金融機関を退職したのが10年前の10月末ですので11月1日が社長就任の日となっていますが

 

確か10月末が土、日だったように思うので事実上は10年前の10月30日からが私の社長人生がスタートしました。

 

 

 

しかし、父の体調が悪化して入院、手術となったのは前月の9月でした。

 

その段階で私は金融機関を辞めて家業を継ぐ決心をし、9月の段階でスタッフの前に立ち、そして得意先にもご挨拶に行っています(まだ金融機関に在籍していたのですが^^;)。

 

その頃から土曜日、日曜日は何ができる訳でもないのに会社に出ていました。

 

 

 

ですから、9月の段階で社内では「社長」と呼ばれていて

 

その頃からは既に10年が経っているのです。

 

 

 

もう10年か…

 

 

 

あの頃を思い返せば、何か感傷的な気持ちになります。

 

 

 

あれから

 

 

 

10年間、積み重ねてきました。

 

10年間、歩いてきました。そして、走ってきました。

 

10年間、頑張りました。

 

 

 

 

まさに「栄光の架け橋」じゃないですけど、幾つもの日々を越えて辿りついた今があります。

 

 

 

30周年は亡くなった先代の父からの歴史で、とても重みのある事だと思うのですが

 

私個人の想いとすれば自分の10周年、これには凄く感じるものがあります。

 

 

 

別にだからと言って何もしませんし、振り返ってばかりじゃダメなんですけど

 

 

 

今月は少しばかり

 

 

思い出にひたらせていただきます…。

 

 

 

 

 

 

レギュラーシーズンが終了し、クライマックスに向けて例年よりは盛り上がっている感もある阪神ですが

 

 

レギュラーシーズンの終了とともに、ストーブ・リーグが動き出します…。

 

 

 

先日、戦力外通告が行われました。

 

次の進路の準備期間を考慮して選手会と取り決めたタイミングがあるという事で、各球団一斉に「来季の契約を結ばない」選手の発表があったのです。

 

 

阪神は

 

 

西村、吉見、高山、阪口

 

西村は一軍で活躍した年もあっただけに惜しまれます。

 

 

久保田と日高の引退という発表もありました。

 

久保田については日を改めて語りましょう…。

 

 

 

 

感傷的になってしまうニュースですが、厳しい厳しいプロ野球の世界。

 

 

今年を振り返って阪神の課題を考えるに、明るい将来を描けない事もまた事実です。

 

 

 

血の入れ替えはこれでいいのか…?

 

 

 

まず野手ですが

 

 

二軍に目をやっても胸を張れる打撃成績の選手はほとんどいないのです。

 

 

ウエスタン・リーグで規定打席に到達して3割を打った選手はおらず、ベストテンにも誰もいません。

 

昨年ウエスタンで二冠を獲って「小バース」なんて言われた森田は旬を逸した感もあり、伸び悩んでしまいました。

 

期待された中谷、一二三の同期コンビも打率が2割に満たず、目を覆いたくなる成績となりました。

 

2年目の北條、緒方に成長の跡が見られたのと、陽川、横田が「新人としては」期待できる結果を出したくらいです。

 

 

 

そして、何より深刻なのが投手陣。

 

私に言わせれば、ここ数年で最悪な内容です。

 

 

先発でメッセ、藤浪、岩田、能見、岩崎

 

リリーフの福原、安藤、オ・スンファン

 

 

これ以外の谷間での先発やビハインド場面のリリーフが殆ど機能しなかったのです。

 

特にリリーフは、これまで色んな投手が踏ん張ってきたポジションです。

 

古くは2003年優勝時は金澤、2005年優勝時はSHE(桟原、橋本健、江草)などがいました。

 

 

以降、渡辺や鶴、また近年では加藤、筒井などが務めてきたポジションです。

 

 

 

それが、今年は壊滅。強いて言えば金田が少し頑張ったくらいでした。

 

上に名前を挙げた投手はことごとく打ち込まれ、先発失格となった榎田もダメ、緊急補強の建山は8試合投げただけ。

 

 

 

 

結局、今年の終盤にこのポジションで一軍にいた投手は復活してきた松田遼馬、歳内、高宮だったのです。

 

まさに、誰も残らなかった状態。

 

 

 

これまでは、期待しつつも一軍のビハインド要員のポジションが埋まっていてチャンスに恵まれない若手投手もいたと思うのですが

 

 

今年ほどチャンスがガラ空きだった年は記憶にありません。

 

チャンスを与えても与えてもことごとく期待を裏切ってきたのです。

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

 

この一軍で使えない投手ばかりという状況の中で

 

また、力不足の若手野手揃いの中で

 

 

 

血の入れ替えはこれでいいんでしょうか…?

 

 

 

私はファンなので、敢えて誰々はクビにすべきなどとは言いたくありません。

 

 

しかし、支配下選手には70人という枠があります。

 

近づいてきたドラフトしかり、選手補強をするためには枠を空けないといけないのです。

 

 

 

育成選手を増やすのならばいいのですが、阪神はあの御仁が育成というシステムに反対しています。

 

 

DeNAは12人に戦力外通告をしたようです。
ドラフトはもちろん、相当の戦力補強をするという決意の表れです。

 

 

 

「数打ちゃ当たる」と言えば荒っぽい言い方ですが

 

今年の新人・岩崎は6位指名です。
指名した投手の中で6位の投手が最も活躍したのです。

 

これで5位で指名を終えていたらどうなっていたのか…?
数を打ったから当たったともいえるのではないでしょうか…?

 

 

 

毎年のように選手は入れ替わっていくのですが

 

 

ここ数年で、今は大きな曲がり角に来たように感じるのです…。

 

 

 

 

 

 

本日は

 

 

 

橿原市 現場 マンション駐車場補修工事

 

大和高田市 現場 外構工事

 

香芝市 現場 草刈

 

橿原市 現場 外構工事

 

桜井市 現場 外構工事

 

 

 

と現場を回ってきて、事務所に戻りました。

 

 

 

午後からは打ち合わせに出ます。

 

 

 

香芝市 ガレージリフォーム工事

 

香芝市 外構リフォーム工事

 

葛城市 立水栓設置工事

 

 

 

と、3件の打ち合わせです。

 

 

 

 

行ってきます!

 

 

 

 

 

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